つれづれぶらぶら

5月の反射炉ビヤ行きますよー!酔い蛍グループの皆さんにまた会えるかな?

『酵母 文明を発酵させる菌の話』

諏訪市図書館で借りてきた酵母に関する図書というのは、マイアミ大学生物学教授であるニコラス・マネー氏の『酵母 文明を発酵させる菌の話』だ。

この本は、酵母――とりわけ、太古の昔から人類と深い依存関係にある「イースト菌」ことサッカロミセス・セレビシエを中心に、それらの働きが人類にビールやパンといった恵みをもたらし、さらに現在はバイオ燃料や遺伝子組み換え製剤などの分野でも活用されていることなど、人類の発展に不可欠な存在である酵母について、幅広く説明してくれている。

そもそも酵母とは、単細胞真菌というれっきとした生物である。サッカロミセス・セレビシエはグルコースブドウ糖)を餌として分解し、二酸化炭素ガスとエタノールを生成する。この働きによって、甘いヤシの樹液をヤシ酒に変え、平たいパン生地をまるで魔法のように膨らませるのだ。古代の人々にとって、その不思議な現象は神々の恩恵であると信じられていた。それが酵母の仕業であると解明されたのは19世紀のことだ。フランスの植物学者がビールの中から酵母を見つけ出し、それを「ミコデルマ・セルビシエ」と名付けた。セルビシエというのは、ラテン語でビールを意味するセルビシアにちなんでいる。その後、研究が進み、1838年プロイセン生物学者フランツ・マイエンによって「サッカロミセス・セレビシエ」という名称が定められ、これが現在も使われている。

この本は、大衆向けに読みやすく書かれた酵母入門といったていで書かれており、単に酵母の働きを説明するだけでなく、それが人間の嗜好や健康にどのように関わり、科学、経済、地球環境など社会全体にどのような影響をもたらすのかといった広い視野を持つ読み物であり、たいへん興味深い、充実した内容であった。

しかしながら、私自身に理系の知識が乏しいことから専門的な内容になるとなかなか理解できなかったこと、また、いかにもイギリス人の学者らしく、いささかもってまわった皮肉的な口調が時おり見られる(あるいは、研究者どうしの間では容易に理解される「内輪ネタ」なのかもしれないが)ことから、ずぶの素人の私が読むのには、少しばかり骨が折れた。

だが、時おりとても美しい比喩や、ポエティックな描写があったりして、そういった箇所にはとても心惹かれた。例えば、第2章「エデンの酵母 飲み物」は、こんな美しい風景描写で始まる。

マレーシアの雨林に夜が訪れると、ブルタムヤシの巨大な花茎にたまった花蜜が酵母の群れによって発酵する。こうしてできたアルコールの蒸気が雨林を漂い、ハネオツパイが期待に鼻腔を震わせる。ハネオツパイとは、羽毛のような房毛の生えた尾をもつ小型哺乳類である。日没後にブルタムヤシの木に登り、この甘い酒を飲み干す。その量は、人が強いカクテル1杯とワイン1杯を飲んだときのアルコール量に相当する。(p.36)

熱帯雨林のジャングルの夜の湿った温かい空気、そのむせるような甘い香り、小さな哺乳類が天然の酒を無心に飲んでいる物音までもが感じ取れるような、美しい文章である。なお、ハネオツパイは、羽状の尾を持つ「ツパイ科」の動物である。くれぐれも頭文字の2文字で切らないように。

natgeo.nikkeibp.co.jp

ハネオツパイは酒を飲んでも酔わないが、「酔ったサル」の末裔である人間はアルコール代謝の過程で出来るアセトアルデヒドにより二日酔いを引き起こす。これは人種によってアセトアルデヒドの分解酵素の能力に差があり、日本人を含むアジア人の30%はアセトアルデヒドを効率的に処理できない。私もそのひとりである。

 

人類が、狩猟中心の生活から、定住して作物を育て、酒やパンなどの飲食物を作って社会生活を営むようになったのは、酵母のおかげと言っても過言ではない。普段意識することもないが、私たちの暮らしはたくさんの酵母によって支えられている。チョコレートの原料となるカカオニブの製造過程では数種類の酵母が順番に登場してカカオの果肉を発酵させる。コーヒーの製造過程にも、また別の酵母たちが関わっている。

そして現代、我々は酵母ゲノム解析を完了し、それぞれの酵母を個別に管理して使いこなすことができる。ビールやワイン、日本酒などの醸造においては、ほとんどの場合、きちんと個別に管理された酵母を用いる。清酒造りに使われる「きょうかい酵母」は、安定した醸造環境を守るために日本醸造協会が全国の酒蔵に提供している。その代表的な「7号酵母」は、我が諏訪が誇る「真澄」の蔵で発見された酵母なのであるぞ。えっへん。

ビールに関して言えば、いわゆる「エール酵母」はサッカロミセス・セレビシエで、発酵が進むにつれて麦汁の上に浮かび上がってくる性質を持つ。対して「ラガー酵母」はサッカロミセス・パストリアヌス(かつてはサッカロミセス・カルルスベルゲンシスと呼ばれていた)で、発酵が進むと麦汁の底に沈んでいく性質を持つ。ちなみにこの両者の関係は、パストリアヌスはセレビシエの子どもに当たる。

www.jbja.jp

また、クラフトビール業界においては、最近はそれまでのエール酵母やラガー酵母にかかわらず、日本酒用の酵母やワイン用の酵母を使って醸造したもの、あるいは最近流行しているブレタノマイセス酵母を用いたブレットビール、アルコールと同時に乳酸を生成するラカンセア酵母を使ったサワービールなど、さまざまなものが出てきている。もちろん、管理された酵母を使うのではなく野生酵母に委ねるランビックなどの古典的なビールも魅力的だ。いやー、本当にセルビシアの世界は奥が深い。楽しい。

 

しかし、この本は、酵母がもたらす恩恵と、その裏腹にある闇の部分を併せて説明してくれている。酵母を遺伝子操作して作る新薬の数々は、マラリアや糖尿病、子宮頸がんといった病気と闘うための強力な武器となる。しかし、その技術はヘロインなどの危険なドラッグの製造にも一役買ってしまっている。トウモロコシやサトウキビを原料とするバイオエタノール化石燃料が枯渇する現代において重要性を増しているが、それらの作物を作り出すための工業化された農業が、自然環境のバランスを崩している。

また、人間の口内、腸、膣内などに多数存在するカンジダ・アルビカンスも酵母の一種だ。そうか、お前も酵母だったのか。女性にとってはとりわけ忌むべき対象であろう。しかしながらカンジダ・アルビカンスは、我々の身体が正常な免疫を保ち、常在菌のバランスが保たれている間は、特に何もしない。妊娠やストレスなどで体内のPHが酸性に傾くと、常在菌の均衡が崩れ、酸耐性を持つカンジダが優勢となる。その結果として、あの忌まわしい陰部の痒みを引き起こす。また、カンジダは侵襲性カンジダ症という重い感染症の原因ともなる。

しかしながら著者は、我々の免疫系が正常に働いているうちはカンジダは恐れるほどの存在ではないとし、一方的にカンジダを悪者扱いして過敏に反応する健康食品界の風潮には懐疑的だ。昨今の極端なグルテン・フリー、あるいは発酵食品を一切取らないようにしようという一部の扇動家たちへの皮肉もたっぷりと書かれている。

 

そのほかにも、面白い生態を持つさまざまな酵母たちについての説明がたくさん掲載されている。この世界はどこもかしこも小さな生物たちで満ち溢れている。私たちが普段目にすることのないミクロの世界で、小さな小さな酵母たちが今この瞬間もせっせと働いているのだ。かもすぞー。そのおこぼれを頂いて、我々人類は文明を発展させてきたのだ。美味しいビールと美味しいパン!いただきまーす!

最近のあれこれ(2023年の大寒)

私はミーハーな性分で、世間で流行っているものにはとりあえず飛びついてみたくなる。

そんなわけで、巷で「暗殺者のパスタ」なる料理が話題になっていると聞いて、さっそく私も真似して作ってみようと思ったのだ。

macaro-ni.jp

パスタを乾いたままオリーブオイルで焼いて焦がし、そこにトマトスープを注いで茹で焼きにするという作り方である。パスタをお湯で茹でるいつものやり方に比べて水っぽくならず、芯までトマトの味が浸み込むから美味しいということらしい。

で、なんで「暗殺者」なんて物騒なネーミングなのかというと、諸説あるようだが、どうやら熱したオリーブオイルの中にトマトピューレを注ぎ込む際に、かなりハネが飛び散るということが理由の一つらしい。うっかり白い洋服などを着たまま調理すると、まるで返り血を浴びたかのように真っ赤に染まってしまうのだそうだ。ちゃんとエプロンを装着しなさいということだな、うん。とはいえ、実際にはそれほどハネることはなかった。トマトピューレを入れる直前でちょっと火を弱めたのが良かったのかな。

息子はピリ辛が苦手なので唐辛子は控えめにして、その代わりにニンニクを多めに。また、レシピではトマトスープに加えるのは塩だけだが、それだと酸味がきつくなるかなと思ったのでコンソメを追加。具材がないのも寂しいので、プチトマトとブラウンマッシュルームとブロッコリーを加えて煮込み、仕上げにとろけるチーズを絡ませた。

そんなこんなで、完成~ヾ(*´∀`*)ノ

うん、美味いっす。芯までじっくり濃厚なトマトの味がしみ込んでうまうま~。家族にも「コクがあって旨い」と好評だった。コンソメとチーズを足したのが良かったのかな。

でも、予想よりも時間がかかったし、意外と面倒だった。もうちょっと簡略化できそうな気もしなくはない。トマトペーストのスープは、あれ、カゴメの有塩トマトジュースで代用できるんじゃないのかね。もし次に作ることがあったら、もうちょっと手抜きしてみよう。

 

***

 

息子のコロナ闘病中に、家庭内で可能な限り感染者と同居者との距離を確保しましょうと指示されたものの、何しろ部屋が狭いもんだから、息子の隔離スペースを確保するために、結果的に私の居住空間を削ることになった。というわけで、先週の1週間、私はめっちゃ狭い隙間に挟まるようにして寝ていたのだった。

そんな不自然な姿勢で寝ていたせいか、左肩がめちゃくちゃ痛いのである。仕事中もずっとガチガチに硬直していて、まるで左肩に大きなトラバサミでも食い込んでいるのだろうかと思うぐらいだった。痛み止めを飲んだり湿布を貼ったりして何とかしのいだ。

そんなわけで、この土・日はいつもの市営温泉に行って、サウナで血行を良くして、温泉にのんびり浸かって筋肉をほぐした。ふー。やっぱりサウナはいいなぁ。誰もいなかったので、軽く上半身を動かしてホットヨガの真似事をしてみたりもした。気持ちいい~。

それで少し身体が楽になったので、午後は家で昼寝でもしようかなと考えてはみたものの、また筋肉が固くなっちゃいそうだなと思ったので、運動不足の解消がてら、久しぶりに諏訪湖のほとりを散策してみようと思ったのだ。

とは言っても、以前のように「思いつきで諏訪湖一周ウォーキング」なんて無茶はもうできない。あれのせいで足底筋膜炎が悪化しちゃったし、日頃から運動してない人間がいきなり激しい運動をするのはむしろ健康によろしくない。

というわけで、上諏訪温泉の周辺をほんの3~4キロ程度、ぶらぶらゆっくり気ままにお散歩した。今週は水曜日あたりから猛烈な寒波が到来するらしいが、今日はまだそれほど寒くもなくて、湖もほとんど凍っていなかった。

足湯に浸かって、諏訪市図書館から借りてきた酵母に関する専門書を読む。クラフトビールについて調べようとしたら、やっぱり発酵についてもちゃんと勉強しないといけないなと思ったのだ。私はまるっきり理数系が苦手で、自然科学に対する好奇心こそあるけど知識はまるで足りていない。せっかくビールとの出会いがあったのだ、これを学びの機会とせねばもったいない。へぇ、「セレビシエ」ってラテン語の「ビール」の意味だったのね、へぇ~。

足もぽかぽかになったので、ついでにそのへんの細道をぶらぶら。片倉館の脇の細道に、子どもが座るための椅子なのかな、童謡の歌詞やら迷路やらが書かれたこんなオブジェがいくつかあった。

迷路というには簡単すぎるんだが……、まぁいいや。

とりあえず肩の痛みはずいぶんマシになったので、サウナや適度な運動はやっぱり有益だと再認識した週末なのだった。まだコロナもインフルも猛威をふるってるし、寒波も来るらしいし、自分の免疫は自分で高めておかねばならんなぁ。精進します。はい。

私の頭の中の釜爺の引き出し

こないだ、朝8時半の始業の鐘を聞いたとたんに、私の頭の中にトートツにこんな歌が流れ始めた。

 

♪はは~ん♪はは~ん♪はちじはん~♪

♪はは~ん♪はは~ん♪はちじはん~♪

♪同じ時間を分け合って~♪違うあなたと♪お~なじ~あ~さ~♪

 

…………なんだっけ、コレ。

それが何の曲かは分からないのに、いったん回り始めると止まらなくなるのがイヤーワームの恐ろしさ。集計表の検算をしている間も、延々流れ続ける。うるさい。

sister-akiho.hatenablog.com

気が散って仕方がないので、こっそりスマホで歌詞を検索したところ、昭和の昔に放送していた『モーニングジャンボ奥さま8時半です』というTBS系列のワイドショーのテーマソングであることが分かった。

ja.wikipedia.org

そういえば、私がめっちゃ幼かった頃に、母親が朝にテレビを見ていたような気がする。うちの母親は昔からずっとNHKの連ドラを欠かさず見ている人だから、おそらくそれが終わった直後にチャンネルを切り替えていたのだろう。もちろん私は何も覚えているはずがない。

だがしかし、確実にこのテーマソングが私の脳内メモリーに刻まれていたわけだ。しかもメロディはフルで覚えていたし、歌詞もおぼろげだがそこそこ覚えていた。怖。

 

最近、物忘れがとみに多くなった。

老化現象なんだか、あるいは何かの病気の先触れなのかは分からないけれど、とにかく色々な言葉をぽろぽろ度忘れしてしまう。同世代の同僚と喋っていると「あの、アレがアレしちゃったでしょ」「あー、うん、アレね、困るよね」という感じの謎の会話になっているが、しかし、なぜこれで会話が成立しているんだろうなぁ。不思議だなぁ。

 

特に覚えられないのが「人の名前」。

ただ、これに関しては老化は関係なく、私はうんと若い頃から人の顔と名前を一致させるのがめちゃくちゃ苦手だった。似たような背格好のクラスメイトが2人以上でつるんでいると、どっちがユキちゃんでどっちがマキちゃんかが分からなくなってしまう。

いつも一緒に仕事をしているチーム仲間の名前ですらパッと出てこない。新人の頃、転勤していく先輩に「たいへんお世話になりました。色々と教えてくださったことは忘れません」とご挨拶したら、苦笑しながら「そんなこと言うけどさ、何年か後に再会したら、キミ、絶対『はじめまして』って言うよね」と言われた。図星である。

 

なんでこんな大事な物事を記憶していられないのだろう。私の頭の中はいったいどうなっておるのだろう。

そんなふうに考えるとき、私が決まってイメージするのは『千と千尋の神隠し』に登場する「釜爺の部屋」である。四方の壁が天井までびっしりと小さな引き出しになっていて、薬草や何やかやがその一つ一つの引き出しにしまわれている。何か必要なものがあれば、釜爺はその蜘蛛のような手を伸ばして、あやまたずその必要なものが納められた引き出しを開けるのだ。

私の脳内にも、びっしりと引き出しが並んでいる。

しかしながら、その引き出しはいくぶん立て付けが悪く、時に理由もなくすっぽ抜けて落ちてきたりする。その中に入っている有象無象のあれこれが、何の脈絡もなく脳のど真ん中にぽとりと落ちてくるのだ。

例えば、検算をしている最中に「ガスクロマトグラフィー」という謎の単語が急に転がり落ちてきたりする。えっ。これ何だっけ。どっかで聞いたような気がするけど、何だっけ。何だっけ。集中力が削がれて仕事にならないので、すぐに調べる。

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気化しやすい化合物の同定・定量に用いられる機器分析の手法。へえ、なるほどね、……って、何でこんな単語が急に落ちてきた?どこの引き出しにしまってあったんや⁈

一事が万事この調子である。仕事上の必要な情報は記憶できないくせに、どこで覚えたのかも分からない、知る必要のないガラクタの情報ばかりが、引き出しのあっちこっちに無造作に放り込まれているらしい。

もちろん引き出しの数は無限ではない。ひとつ新しい情報を入れようとしたら、どこかの引き出しの中身をポイしなければならぬ。じゃあ、そういったガラクタの記憶をポイして必要な情報を入れれば良いではないか。そうだそうだ。そうしよう。

……そんなふうに上手くいけば、何の問題もないんだけどなぁ。

年々ガラクタの数は増える一方で、ポイされるのは必要な情報のほうなのである。嗚呼。

 

その話を聞いて、ニヤニヤしている人がいる。旦那だ。こやつこそ、私の脳内の引き出しにガラクタをじゃんじゃん詰め込む犯人のひとりだ。面白がっては、昔のテレビでやっていたギャグなんかを私の耳に吹き込んでいく。


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ああ、また、こうして要らない記憶が引き出しを圧迫していく。そして、また誰かの名前が消えていく。ああ、釜爺の部屋がどんどんゴミ屋敷と化していく。ああ。

 

そういえば、今日は久しぶりに「火曜日」だ。


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また不要な情報が増えていく、増えていく、増えていく………………。