つれづれぶらぶら

ジャイアンツさんCS進出おめでとうございます。楽しかったけんええわ。

『デビルマン』と『DEVILMAN Crybaby』

あなたの考え方に最も影響を与えたものは何ですか、と問われたら、やっぱり20年ぐらい前にプレイしたスーパーファミコンの『真・女神転生』だ、という答えになる。

それまでの善悪二元論だけの価値観ではない、奥行きのある思想に基づくストーリー。

出てくる悪魔や神や妖精などを容赦なく薙ぎ倒して歩く、だけじゃなくて交渉で味方(仲魔)にする。で、さんざんこき使った仲魔を、あげくの果てには合体の素材としてすりつぶしちゃう、というね…。

もうプレイしてて背徳感ハンパない。神も悪魔もあるものか。合体中のモニターに映る自分自身の顔がなにより悪魔的。

 

で、その『真・女神転生』シリーズは、もちろん西谷史氏の原作『デジタルデビルストーリー』という原作を持ってはいるんだけど、製作者の側から元ネタとして挙げられたのが、永井豪氏の『デビルマン』で。

いや、もちろん知ってましたよ。日本漫画史上の金字塔の一つとして輝く名作『デビルマン』。懐かしのテレビアニメとして語られることも多いその作品の名は。

でも、アニメの主題歌は知ってても、その原作漫画をちゃんと読んだことはなかったなーなんて思って、真・女神転生をプレイした後に、なにげなく手に取ってみたのです。

 

まぁ、この漫画を手に取った瞬間こそが、多くの人々にとっての「いこうぜ、閻魔!地獄のとびらをあけてくれ!」な瞬間となる、わけで。

 

そらもう、昭和47年の漫画ですからね、もちろん絵柄は古いし、描かれた風俗も古いんです。しかも永井豪作品だから相当にクセが強いし。

でも、そんなん関係ないんです。とにかくぐいぐい引き込まれる。ぐいぐい、なんて言葉じゃ追いつかないね。脳みそを引っ掴まれて、強引に魔界に放り込まれる、そんぐらいの猛烈なエネルギー。

何よりもストーリーが凄すぎる。よく少年誌で掲載されてたなというぐらいのエロスとバイオレンスに導かれつつ、人間の心の中にある欲望や悪をこれでもかとばかりに叩きつけます。

そして終盤の展開は、おお、もう…………(´;ω;`)

牧村家襲撃のあたりは、みんなが口を揃えて「トラウマ」と語るレベル。やめてえええ。もうやめてええええええ。

 

でもね、ただ過激なだけの暴力漫画だったら、こんなにも多くの人々の支持を集めるわけがないんですよ。

そこに描かれているテーマ、「人間とは何か/愛とは何か」という本質を徹底的に暴き、ドラマとして描き切った、その先駆的な作品であったからこそ、今もなお多くの読者を増やし続けているんです。

 

永井豪氏の漫画には、誰もが当たり前だと思って疑わなかった価値観に対する「疑い」があり、その価値観の下に覆い隠されていた「本質」をさらけ出すものが多い。

短編『ススムちゃん大ショック』なんかも凄いもんね、「親は子供を無条件で愛する」という常識が、ある日突然消えてしまった世界の物語。怖いゾー。

まぁ漫画や漫画、と思って気持ちを整えていたんだけど、昨今の児童虐待のニュースなんか見てたら、ねぇ(以下自粛)。

 

永井豪氏によると、『デビルマン』の作品に隠されたテーマは「戦争」なんだそうです。

最新の兵器を手にして、若者が次々と戦場に送られていく。大義の下に多くの人々が殺され、何が正義なのか分からない混沌の世界が広がる。それは確かに『デビルマン』の物語と符合する。

そうなんだよなー。戦争映画なんかだと美化して描かれることも多いけど、結局のところ壮大に人間が殺し合いを続けた終末がどうなるのか、それは聖書の黙示録にも描かれているし、ヒロシマナガサキヲミレバワカルダロ。

 

なお、懐かしのテレビアニメの『デビルマン』は設定もストーリーも全く違う。

原作に準拠したOVAも作られたけど、予算の問題で途中までしか作られていない。

実写映画も作られたけど(以下自粛)

 

そんなわけで、原作の全編映像化というのはファンにとって長年の夢だったんです(実写映画?え、なにそれ?)

そして、満を持して、永井豪先生の画業50周年となるこの2018年の新年初っ端に、ついに『DEVILMAN Crybaby』として全編アニメ化されたのでした……ッッッ! 

その「原作デビルマンの完全アニメ化」という壮大な事業は、外資系動画配信サイトであるNetflixのオリジナル配信作品という形で実現しました。

テレビや映画に比べて表現上の制約が少ないことから、永井豪作品には欠かせないエロスもバイオレンスも問題なく再現できる。良い時代になったなぁ。

そして、このものすごくハードルの高いミッションを引き受けたのは、『夜明け告げるルーのうた』で、アヌシー国際アニメーション映画祭で最高賞・クリスタル賞を受賞したばかりの湯浅政明監督。

昭和40年代に作られた原作を大胆に解体/再構築して、現代の日本(川崎市)を舞台に、インターネットなどの要素も活用しつつ、全く新しい物語として生まれ変わらせました。

 

タイトルは『DEVILMAN crybaby』。直訳すれば、『泣き虫デビルマン』。

 

その名のとおり、本作品の主人公である不動明デビルマン)は、まぁ、よく泣く。所かまわず号泣。悪魔合体前の弱っちい明なら仕方ないかもとは思うけど、最強のデビルマンになってもやっぱりオイオイ泣きまくる。

でも、この涙には意味があるんだよね。「泣き虫」だけど、決して「弱虫」ではない。自分のために流す涙ではなく、誰かの心に共鳴して、その誰かの代わりに泣く。明の涙は深い感受性(=愛)の表れ。

それに対して、飛鳥了は一切の共感を持たない存在として描かれる。全ての事象は計算の上に成り立ち、他者の苦しみや生命に全く関心を持たない。

了は明に対して強い独占欲を持つけれど、それはまるで、生まれたての赤ん坊が母親に対して抱くような――自分の要求は全て明に受け入れられるはずだという――無垢ゆえに残酷な感情。

有名な作品なのでネタバレを恐れずに言うけれど、原作では、了は明に対してはっきりとした恋慕の情を抱いており、それがゆえに漫画『デビルマン』をBL漫画の系譜として語るファンもいるんだけど。

そもそも恋という感情自体も人間らしい心の表れだけど、本作の了にはそれすらもない。明は永遠に自分と共にいるべきだ、という考えに基づき、明の都合なんかはお構いなしに「作戦」を決行し続けるのです。

 

あらすじの説明はこのブログではしない。そもそも観る人を選ぶ作品なので、「ぜひ観てください」という言葉も控える。ってゆーか子供には絶対に見せちゃダメだぞ。

また、多くのファンが「原作との違い」について言及しているけれど、それも言い出したらきりがないしさ。

原作の美樹ちゃんが良かったのにィっていう人もいるけど、あのなぁ。原作の美樹ちゃんって、一人称が「セッシャ」で、護身用にノコギリを持ち歩き、不良たちに「腹かっさばいて死んじまえぃ」と啖呵を切る女子高生よ。どうよ(;^ω^)

 

ネット配信作品ということで、エロスは遠慮なく全開。ヌードはもちろん、性交とか自慰とかに関しても真正面から描かれます。シレーヌ様の喘ぎ声に唇を噛みしめるカイムさんの姿が気の毒でのう(;^ω^)

でね、見ながら、「あれ?」と思ったことがあったの。

絡みは多いんだけど、その中でも特に「同性愛者」が目立っていたの。本作で追加された新キャラもホモセクシャルという設定。

そう、Netflixで全世界に配信されるということは、多くのキリスト教徒の目にもさらされるということですよ。ただでさえ、悪魔と共存するという危険なテーマを扱っていて、同性愛的な要素もあるって。

ここはどういう意図で表現しているのかなと気になって、色々な人の感想を読んでいたら、トランスジェンダーの立場から考察されたブログを見つけて、これがすごく腑に落ちた。

 

このブログのおかげでだいぶ頭が整理できたんだけど、要するに湯浅版デビルマンが前面に押し出そうとしているのは「差別・偏見・迫害」ってことでおけ?

原作との違いはかなりあるけど、打ち出したいテーマをより明確にするための改変という印象を受けましたね。

もちろんメインテーマは原作と同じく「愛とは何か」で、そこもかなり分かりやすくしようとする意図を感じたけど。例えばジンメン戦のあたりとかね。

  

本作で良かったのは、ミーコの存在。

あの「みんなのトラウマ」である牧村家襲撃のシーンが、ミーコの活躍によって随分と救われた感じがしました。9話はマジ神回。まぁ、それでも最後はやっぱりアレなんだけどさ(´;ω;`)

牧村家襲撃のショックが薄らいだのはいいけれど、それよりも前に、既に牧村家が崩壊している、っていう8話の展開のほうが私にはしんどかったな。

タレちゃん。いや本作では太郎ちゃんか。第1話のあたりから、幼い子供にありがちな危うさが見え隠れしてはいたんだけど、まさか、ああなっちゃうとはなぁ…(´;ω;`)

やっぱりね、同じぐらいの少年の母親として、もし自分の息子がああなったら、やっぱり母親としてはああすると思う。おそらくはお母さんは、最後は自分から身を捧げたんだと思う。そうなるよ。悲しいけど。

お父さんの苦しみも本当によく分かる。キリスト教徒だからなおさらつらいと思うけど、でも宗教観を抜きにしても、あれは無理だ。つらい。何度も何度も銃を構えては、涙をこぼし苦しむ姿が、見ているこちらにも苦しい。

 

あと、最終決戦に備えてデビルマン軍団を集めるのが原作では明=デビルマンの呼びかけなんだけど、本作では、明の呼びかけに加えて、インフルエンサーである美樹のネット上の言葉っていうのが、今の時代らしくて良いね。

美樹の懸命な呼びかけにも、大多数の人々は悪意しか返さなくて、でも、その中でも少しずつ言葉が届いていくという展開が良かった。

……まぁ、結果はやっぱりアレなんだけどさ(´;ω;`)

 

本作では、了が全ての主導権を握っていて、世界がまるごと了の手の上に乗っている感じだったんだけど、現実ではあそこまで上手くはいかないよね。アンチの一人もいないっていうのはちょい不自然かな。

でもまぁ、そこらへんを描いているとストーリーが進まないしね。デーモンが背後から上手く操作してたんだよということで納得しよう。

いやー、しかし、了は憎たらしい。ホントにとんでもなく嫌なヤツだ。でも可愛い。くそう。ハンバーガーもぐもぐしてる顔なんて可愛すぎる。くそう。

この可愛さは、あれだ、まどマギにおけるキュウべえに通じるものがあるね。常識がそもそも違うんです、だから君たちのことは理解できないんだもん、っていう感じの可愛さね。困ったもんだね。

特に幼少期の明と了の可愛さなんてたまんないわよね。並んで日食とか見てるの可愛いすぎかよ!明が差し出すバトンの意味が分からなくてキョトンとしてる姿とか、もうね!(≧▽≦)

 

……えーっと、とりあえず10話分×2周、観た感想としては、湯浅版のデビルマンは原作のデビルマンとはかなり違うけれど、原作の根幹の部分はきっちり受け継いだ、という感じですね。

困難な原作に挑んで、さまざまな表現にも逃げずに真正面から取り組んだ、その姿勢に感服いたしました。今後がますます楽しみな監督さんですね。

 

また、嬉しかったことに、主題歌が電気グルーヴ!ハードな曲調がたまんなくカッコイイ。

さらに、サウンドトラックを手掛けたのが、電気グルーヴのサポートメンバーとしても知られる牛尾憲輔さん。映画『聲の形』なども手掛けてますね。

あまりにもサウンドトラックがかっこよかったんで、思わずCD購入しちゃったよ。今も聴いてるんだけどさ。

挿入曲も実にナイスで、作中で「昔のアニメ」として登場するのが、なんとテレビアニメ版『デビルマン』。あの懐かしの、♪あっれはーだれっだー、だれっだー、だれっだー♪が流れるわけですよ!

それが牛尾氏によって現代風にアレンジされ、歌うのが女王蜂のアヴちゃん。んーーもうカッコイイーーー(*´ω`*)

また「神回」9話には、特別エンディングが用意されており、石野卓球七尾旅人によるユニットによる『今夜だけ』が、しっとりと美しく――あの衝撃の後だからなおさらに――悲しく響くのです。これはもう感涙必至。

 

そんなわけで、私にとっては素晴らしく満足できるもので、これが1ヶ月650円で観られるなんて、この作品を観るだけでもNetflixに入った価値はありましたね。

いや、もちろん、だから、他人に勧めようとは思わない。興味があるなら、とりあえず予告編を観て判断したほうがいいと思う。

ただ、本作を観た若い人たちが、原作に興味を持ってくれているのは嬉しいですね。

やっぱり、『デビルマン』が持つエネルギーや思想は後世に繋いでいきたいと思うのですよ。安易に世界に流されるなよ、価値観は一つじゃないんだよ、ってこともね。