つれづれぶらぶら

花粉症持ちにとっては例年以上につらい春です(主に精神的に、周囲の視線が)

描写について語るときに私の語ること

最近とんと文芸活動のほうがご無沙汰で、いいかげん小泉はもう書く気がないのではないかと思われていそうだが、気持ちだけはちゃんとある。

 

とりあえずカープ女子養成講座の続編を書きたい。野球女子向けの、もうちょっと濃いめのマニュアル本。

例えばラジオ観戦の楽しみ方とか、カープ観戦が楽しめる飲食店とか、カープグッズの面白さとか、がっつり伝えたい。

いや、誰も求めていないことはじゅうじゅう承知の上だが、私が書きたいんだから仕方ない。あいらんどの客層なんぞ知ったこっちゃないわ!!!

 

それから、ダイ王の天野編も書きたい。ストーリーの骨子はだいぶ出来てて、恋愛小説としてなら既に書けそうなんだが、なんせホラ、こちとら恋愛小説が書きたいわけじゃねぇんだわ。

野球要素がまだ薄いんだよーーーー。故障知らずのエースピッチャー、っていう設定があるもんで、野球のほうのドラマに起伏が乏しいんだよう。犬ヶ岬は故障からの復活っていうテーマがあったからさぁ…。

 

さらに言えば、10年以上停止しているアレのことも、半年に一度ぐらいの頻度で気にはしている。もう書かないと決めたならとっくの昔に削除してるさ。消してないってことは、まだ私の中にあの子達は存在してるってことさ。

ただ、…まぁ、あのまんま、しれっと再開するってこた、さすがに無いと思う。さすがにあの頃と今とでは文体も違うし。

アレの停滞について、ちょっとだけ弁解すると、アレは独身時代のうちに仕上げておかねばならない内容だった。愛する我が子を持ってしまった現在、アレを当初のプロット通りに仕上げるのはかなりしんどくなったのだわ。

ただ、登場人物は愛しているし、芹沢亜希子なる女性もかなり重要なポジションで登場するもんでね。なんとか再構築できないもんかと、半年に一度ぐらいは考えているのですよ。だもんで、いつまでも消せないのだなー。

 

さて、たまには創作について語ってみよう。CSと日本シリーズの行方は気になるものの、そろそろ“こっち”のスイッチも入れとかなくちゃね。

 

本日のテーマは「描写」です。

 

…って、いきなり難しい切り口を選んだ気がするど。まぁ、きちんとした文芸評論は中島梓先生あたりにお任せすることとして、私はのんべんだらりと素人のたわごとを書くどー。

 

絵画と同じように、文芸においても、どこまで詳細に描いて、どこを省くか、どこに焦点をあてて、どうデフォルメするか、というところは難しいもので。

特に私の創作は一人称モノが多いもので、そのシーン単位のカメラは「主人公の目」でしかないので、主人公が気づいてないものは描写できない。

逆に言うと、私が一人称モノを書くのは、カメラをいくつも置くのが面倒だということもあるし、また、主人公が気づかない部分にトリックを這わせたいという嗜好もある。

一人称で何かを描こうとすると、その描写は「主人公の認知のバイアスを経たもの」ということになる。

つまり、主人公が関心を持っていなければ、そこに何が置かれていようと全く描写されないということになるし、主人公がその対象物に何らかの感情を持っていればそれに応じて変化する。

 

小難しくなってきたんで実例を挙げようかな。

 

例えば、フェイバリットで、阿鬼ちゃんが初めて古賀さんに出会うシーン。

いつもの編集長の席に芹沢氏がいない、という混乱を秘かに抱えたまま、阿鬼ちゃんは初対面の古賀さんを警戒しつつ、その人物像を観察している、という状況。

ここで、何か古賀さんという女性像を端的に表現できないかなぁと考えて、私がこっそり忍ばせたのが「キティちゃんのマスコットがついたボールペン」というアイテムだったんですね。

本編には触れてないけど、古賀さんには「娘がいるが、既に成人して、家を出ている。家には娘の使い残しの文具がたくさんあって、それを使っている」という裏設定があったの。

どーんと器のでっかいベテランお母さんであることを表現したかったんだけど、まさか初対面の取引相手に向かって、いきなり自分語りなんかせんでしょう、普通のビジネスパーソンは。

で、苦肉の策として、所持品でなんとか表現できんもんかと思ったわけです。私がよく使う手でもありますな。草馬センセの「カルティエ・ヴァンドーム」とか。

 

逆のパターンだと、ダイ王の犬ヶ岬編のデートシーン。

犬ヶ岬の愛車は「フォルクスワーゲントゥアレグV6」という設定なんだけど、ひとみちゃんが車に興味ないもんで、「うちのお父さんの軽の箱バンより立派な車」なんつー間抜けな描写にしかならんという、ね。

  

人物像を描写するとき、ファッションには特に気を遣う。

人は見た目が9割」って言うぐらい、服装とか身だしなみっていうのは、その人の本質が如実に表れるものだと思ってる。

客引きや物乞いの人達は「靴」を見る、っていう話もあるでしょ。夜までピカピカの靴を履いている人はお金持ちの証。なぜなら自分で歩かないか、たとえ歩いても靴を磨く人がついているから、っていう。

いつもお化粧して髪も綺麗に整えている人と、寝起きの頭のままスッピンで家を飛び出す人(←私だ)とは、おのずと生き方や考え方、価値観が違う。

寒いからってトレーナーの上に貰い物のキャラクターTシャツを重ね着して、スッピンで背中を丸めて歩いてる女ってな、もうそれだけで「変人」だと分かって頂けると思うのですが如何。

 

しかも、それが「今からデート」であるとか、ここぞの場面に当たっては、ことさらじっくり時間をかけて考え抜きます。

そのキャラクターの個性に加えて、「相手にどう見てほしいか」ということまで計算して選ばなくちゃいけないんだもん。

犬ヶ岬とひとみちゃんのデート服なんか、ZOZOTOWNのサイトを半日ぐらいずーーーーっと見てたもん。男のファッションなんてよう知らんもん。変なコーデになってなきゃいいなぁと思いながら選んだんだわ。

 

仕草とか癖とかにも、人柄が出る。

犬ヶ岬は口を隠す。自分に自信が持てないから。犬ヶ岬は北関東あたりの生まれで、あのへんの方言って強いから、東京の高校に通っていた頃に嗤われて、それで喋れなくなったという裏設定もあるんだけどね。

爪を噛んだり、貧乏ゆすりしたり、ニシャァと笑ったり、唇を尖らせたり、頭を掻いたり。なくて七癖とは言うけれど、台詞がなくても、描写だけで表現できる。

私は昔から「その人の行動は、どんなに些細なものであっても、その人がそれまでに積み重ねてきた過去に裏打ちされている」と信じていて、だから意味のない描写はないと思っている。

もちろん、たまに、書きながら「あれ、予想したのと違う行動(発言)をしているぞ?」と思うときもある。そういうときは、私自身がまだそのキャラクターを理解できてなかったんだと思うことにする。そのほうが上手くいく。

 

話は変わって。

私が物語を描くときに重要視しているのは「カメラワーク」だったりする。

さっきも言ったように、基本的には一人称だから、カメラワークといえば主人公の視線の動きに他ならないわけで、主人公がその瞬間に最も気にしている場所にカメラを向けなくちゃいけない。

あと、基本的には自分の顔は見えないから、主人公自身の顔の細かい描写は(鏡を見ているとき以外は)ほぼできない。手とかスカートの裾とかなら見えるけど。

また、主人公の立っている場所から見える風景に忠実に描かねばならない。ドアを開けて室内に入っていくときに、カメラは室内の手前から奥に向かっての映像を映し、背後の風景は(振り返らない限り)映らない。

ここらへんは気を抜くと不自然な描写になってしまうので、そのシーンを書く前に、頭の中でしっかり映像化しておく。その頭の中の映像を文字に落としこんでいくように書く。

そうは言っても、なかなか文章力が追いつかないのよね。特に私が苦手なのはアクションシーン。目まぐるしくカメラが動く映像を、スピード感を出して、きちんと描写できる人を、私は無条件で尊敬する。

だから本当はスポーツものは苦手なんだー。ダイ王は「なんちゃって野球モノ」だからまだ誤魔化せてるんだよ。本格的に、走塁とかフェイントとか込み込みで描けって言われたら無理無理無理無理ってなっちゃう。

 

あと、難しいなーと思っているのが、「味覚」の表現。

フェイバリットで珈琲の味の描写をやったけど、まぁ、食レポって大変なのねと思ったもん。彦摩呂さんすげえや。

語彙が足りないから、どうしても安直に「美味しい」とか「○○みたいな」とかの言葉で片付けがちなのよね私。もっと勉強しよう、ホントに。

 

だから、例えば、

 

異世界ファンタジーもので、主人公が現世から転生したとかでなく生まれつきその世界の住人で、しかも何からの理由で視力を失った状態で、主人公にとって未知の料理を食べる」

 

というシーンを書け、と言われたら、あたしゃ尻尾巻いて逃げるしかないわ。そんなんできひんやんフツー。