(前々記事から続く→)というわけで、26日に休暇を貰って、またもや新宿に行ってきたわけですよ。今度は単身で。
テアトル新宿にて公開中の『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(以下「2019年版」と呼ぶ)を観るために。
『この世界の片隅に』(以下「2016年版」と呼ぶ)という映画については、もう何度もこのブログで語ってきたような気がするんだけど、一応。
2016年に公開されたアニメーション映画で、こうの史代の漫画を原作として、徹底した考証のもとに片渕須直監督が映像化した名作なわけです。
ただ、この2016年版では、厳しい予算事情などから、こうの先生の原作にある“重要なキャラクター”にまつわる部分がほとんど抜き取られていて。
それはそれで物語としては成立していたんだけど、やっぱり原作ファンからは「どうして?」という声が上がっていたんですね。
もちろん片渕監督としても“それ”を抜くのは、やむにやまれぬ苦渋の決断の末だったわけで、予算と制作環境が整えばちゃんと全部作りたい、というのは前々から仰っていたのね。
で、2016年の大ヒットを受けて、2016年版に約40分間・250カット超の映像を追加し、今度こそ原作をほぼ完璧に映像化した2019年版を作り上げたという次第なわけです。
で、さっきからなんで2016年版とか2019年版とかいう言い方をしているのかというと、この2019年版を「完全版」とか「ディレクターズカット版」とか呼ばれたくないからなのです。
2016年版は、あれはあれでちゃんとした、完全版なんだもん。
2019年版は、2016年版+αであるとはいえ、その「+α」によって大きく雰囲気が変わってしまった、別の作品なんだもん。
うーんと、まぁ、そのへんの事情はウィキあたりで確認してもらうとしてだ、私自身がどう思ったのかという話なんだけど。
…………まだ、感想が、まとまら、ない。
あのね!これ別に今に始まったこっちゃなくってね!2016年版のときの感想もこんなんだったからね!
面白かったー、とか、あそこんとこの演出がさー、とか、ましてや「泣けるぅ~」なんていう、私がいっちばん嫌いな映画評コメントなんか使いたくないわけです!!!
とにかく画面内の情報量が多すぎるんです。そもそものこうの先生の漫画の情報量が半端なくて、それを監督がいちいち解析してさらに精度の高いものにしてくるもんだから。
そんでもって、ストーリーがまた、ね。
2016年版は「すずさん」を取り巻く「戦争」、そして義姉である「径子さん」との関係の変化、というあたりにフォーカスが合っていて、まぁ比較的分かりやすい物語ではあったのですよ。
『この世界の片隅に』という作品のことを「戦争映画/反戦映画」とは呼びたくないんですが、まぁ、そうはいっても2016年版は戦争や空襲・原爆との関わりの部分が大きく見えますわな。
ところが原作と2019年版では、この「すずさん」の心の内側にも「女」や「嫁」としての、さまざまな葛藤や屈託があったことを示しているわけです。
端的に言えば、+αを入れたことで、「恋愛」の部分がいきなりくっきりと鮮やかに見えてくる。それはかなり生々しく、エロスを伴ってやってくる。
いや、追加シーン40分全部が恋愛シーンなわけじゃないですよ。むしろ台風とか広工廠の作業風景とか、恋愛に関係ない部分が結構多い。
ただ、決定的な真実を暴露してしまったことで、これまで2016年版で見てきたシーンの“意味”が変わってしまった。
端的に言えば、哲が訪ねてくるシーンと、終戦の日に慟哭するシーンは、これまではすずさんの怒りの意味が表面的にしか分からなかったのが、そういう意味だったのか、と分かる。
えーっとね、やっぱりね、とにかく観て、としか言えないんだけどね(語彙力)
ただ、もし初めてこの作品を鑑賞するんだったら、やっぱ最初は2016年版がいいんじゃないかなぁ、と思う。今になって思えば、よくあの原作を簡潔にまとめたよね監督、と感心するよ。
2016年版で「この世界」を理解したうえで、その「いくつもの片隅に」何があったのかを知りたくなったら、原作なり2019年版を手に取ってみたらいいんじゃないかなー。
あとね、2019年版はちょっとお子様連れだと気恥ずかしくなるかもです。
いや、そのものズバリはないんだけど、細谷佳正の声優としての演技力のせいで、もうめっちゃエロいです周作さんったら…(/ω\)