つれづれぶらぶら

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。プロ野球12球団のファンの皆さまへ。

『船場センタービルの漫画』

コロナウイルスがまだもぞもぞしてるっていうのに、長野県と岐阜県の県境のあたりの地盤も時々もぞもぞ揺れていて、それに加えてこの豪雨ときたら、いったい何だろう。

神様がもしいるとしたならば、これはいったいどういう試練なのだろう。人類の忍耐力を試されているのか、それともただの不機嫌なのか、ああそういえばいたよね、子供の頃、カープが負けた翌日は決まって抜き打ちテストを出してくる不機嫌な先生が。

それにしてもあの自粛期間の快適だった通勤電車はまた元通りの、学生とサラリーマンでごった返す蒸し暑い疾走する鉄の箱と化していて、ああもう、どうして毎日毎日会社に行かなきゃいけないんだろうなぁ、どうしてうちの会社はテレワークを導入してくんないんだろうなぁ、とぶつぶつ脳内で愚痴りながらいつものようにスマホでトレンドニュースを眺めていたら、ふと、ある漫画が目に飛び込んできたのだ。

 

船場センタービルの漫画』という風変わりなタイトルの。

 

to-ti.in

 

船場、と聞いてもいまいちピンと来ない。一応、昔ちょっとだけ大阪に滞在していたことがあるから、大阪の二大繁華街、キタとミナミに挟まれたビジネス街のあたりだっけ、とは思う。でもそれ以上の感慨もない。世間的には、ささやき女将でお馴染みの高級料亭「船場吉兆」のあったあたり、と言ったほうが通じるかもしれない。もちろん私は船場吉兆に行ったことはないのだが。

その船場にある商業施設「船場センタービル」の50周年記念のための漫画だというのだ。要するに広告漫画だというのだ。

この漫画は、漫画家のもとにその広告漫画の依頼が来るところから始まる。そして漫画家は思う、「ムリです」と。そして積極的に断られるよう依頼主に返信を書く。

私は、宣伝の漫画をお受けするには致命的な事に、

その時描きたいものしか描くことができません。

ちなみに今描きたいテーマはうつ病です。 

どう読んでも積極的に断られるための返信である。漫画家もそのつもりで忘れていた。ところがその翌日、依頼主から返信が届く。

はい、

そちらでどうぞよろしくお願いいたします。 

――マジか。

正直すぎる漫画家も漫画家だが、その言葉を受けて本当に「うつ病について」の漫画を描かせる依頼主も依頼主である。念のためもう一度確認しておくが、この漫画は「船場センタービル50周年記念の広告漫画」である。

そんなわけで、この漫画の前半は、漫画家が患ったうつ病の症状や治療の過程を淡々と綴っていくのだ。発症から9か月経って自転車にも乗れるようになり、「治った…のか?」という感覚が「醤油に大量の水を足して薄めた感じ」という言葉で表現されているのは、なるほどなぁと思う。

そして漫画家は漫画の取材をするために船場センタービルに赴く。そこで目にしたのは、外観は新しいが内部は築50年の巨大な商業施設。外から見える窓の乱雑さ、古くてかわいい地下通路の入口、50年前から変わらない内装や古くてかわいい看板などを、漫画家は丁寧に見て歩く。

その年季の入り方、

白い蛍光灯の色、

手入れしても追いつくことのできない何かが染みついた感じは

故郷の古いデパートに似ていて

これは今回がんばって漫画描かないとなあ、と思う

言葉のセンスが非常に良い漫画家さんだなぁ、と思う。船場センタービルに行ったこともないのに、こういう台詞を読むだけで、私自身の記憶の底に沈んだ風景が匂いとともによみがえってくる。

例えばそれは岡山の古い港町の寂れたアーケード街にあった文具店の店先だったり、長崎の裏路地にあった狭い食料品店の店番のお婆さんの寝顔であったり、そういういくつかのぼんやりとした記憶である。なぜ私の脳内にこんな記憶が残っているのかさえももう分からないぐらいの、かすかな、でも確かな記憶。

 

この漫画では、主人公(漫画家の「私」)は極端にデフォルメされたのっぺらぼうの人形のような姿で描かれる。そのほかの、店員や清掃員などの人々についてはそれなりに表情や性別が分かるぐらいには細かく描かれているにもかかわらず、である。

この「私」の匿名性の高い表現ゆえに、読んでいる間、私は「私」に自然と同化している。目に映る光景と切なさ、そこから自然と思い出すあれこれの事柄を、自分自身のことのように感じ取ることができるのだ。

はたらく人は

美しいです 

この一文を目にした時、思わず鼻の奥がツンと痛くなった。

そうなのだろうか。むくむ足を引きずりながら、満員電車を降りて歩く。篠突く雨の中、ズボンの裾を濡らしながら会社までの道を急ぐ。テレワークも進まない旧態依然とした会社。インスタントコーヒーを飲みながら同僚と愚痴る。急な来客に舌打ちしながら、マスクをつけ、精一杯それでも愛想よく応対する。

皆みんな、不機嫌や不安を大量の水で薄めながら懸命に働いているのだ。

この感じはどこかで感じたことがある、と思ったら、そういえば『この世界の片隅に』を最初に観た後にも同じ気持ちになったのだった。食糧難だろうが戦争だろうが大切なものを失った後でさえ、人は懸命に生きてきたのだ。

この漫画の依頼主である演出家の村井智氏が、船場センタービル50周年特設サイトの中で今回の企画の意図を説明している。

(前略)「普通の日常」というものの尊さが全世界的に再確認されている今だからこそ、僕たちにとって「特別」なモノとは何か、残っていくモノや残したいモノは何か、変わっていかねばならないことは何か、すごいスピードで変わり続けるこの日常の中で今一度立ち止まってゆっくり考えていけたらと思います。この物語と、そして50年を生きてきたこのビルと一緒に。

100%の透明ではない世界の中で、それでも私は幸福に生きている。

 

さて、この漫画は同時にアニメーションにもなっている。ナレーションと歌は「水曜日のカンパネラ」のコムアイ氏。いくつか抜けているエピソードもあるものの、基本的には漫画をそのままアニメに起こしているので、ぼんやり眺めたい方はこちらをどうぞ。 


船場センタービル50周年短編アニメーション映画『忘れたフリをして』本編