つれづれぶらぶら

お熱さがったお。元気だお。

ほんとうなら

ほんとうなら、明後日はオリンピックの開会式だった。

ほんとうなら、今ごろはプロ野球のシーズンは中断されて、その代わりに侍ジャパンのユニフォームに身を包んだ菊池涼介會澤翼の姿に目を細めている頃だった。

ほんとうなら、今日あたりには8月のお盆休みの広島帰省の新幹線の切符を悪戦苦闘しながら確保していなければならない頃だった。

ほんとうなら、小学6年生の息子は長い夏休みを目前にして、さて広島の祖父ちゃんに今年は何をおねだりしようかと、うっとり考えている頃だった。

ほんとうなら、私は全営業所の中堅社員を集めて大々的に開催される年に一度の会議に参加するために上京している頃だった。

 

――ほんとうなら。

 

「ほんとう」って何だろう。

 

現実(ほんとう)の今日は、甲子園で広島阪神戦、延長10回引き分けで終了。

現実(ほんとう)の明日は、お寺で四十九日法要、それから納骨。

現実(ほんとう)の夏休みは、8月前半の2週間に短縮され、息子は来週も元気に学校へ行く。

現実(ほんとう)の盆休みは、――こないだ実家に電話を架けて、「今年は帰らんとこうと思う」と母に言い、母も「それがええ。やめときんさい」と答えた。

現実(ほんとう)の会議は、今年は中止。資料だけ後日送るから読んどいて、ってさ。

 

誰が何と言おうと、眼前に広がるこの現状が「ほんとう」。

そこに仮定はない。いいも悪いもない。「もしもオリンピックが予定通り開催されていたなら」、猛暑問題に加えて昨今の豪雨にも対応しなければならんかったろうと思うんだけれども、そんな「もしも」は今のところは意味を持たない。まぁ、来年以降の検討すべき課題として考える必要はあると思うけどね。

会議がなくなったのだけは、これは私にとっては朗報である。いやー、あの会議、毎年めっちゃ大勢の人を会議室にぎゅうぎゅうに押し込んでは、ただただ配られた資料を全員でひたすら読むだけの内容だったんで、「これに何の意味あんの」とは常々疑問に思っていたところであったのだ。そうとも、ただ資料を読むだけだったら自分のデスクで充分なんです。なんやったら自宅でも読めます。ねぇ。

広島に帰省しないのは残念だけれども、その代わりに長野県内でちょっとしたリゾートを計画中である。そういえば私と息子は毎年夏休みは広島にいたので、親子3人で過ごす夏休みはレアっちゃレアである。息子も小6だし、そろそろ両親と一緒に遊ぼうというタイムリミットが迫ってきている年頃かもしれぬ。そういう意味ではいい機会なのか。いや、いいも悪いもないんだけどね、あくまでも選択肢としての話。

まぁ、そもそも、今この瞬間以降の予定はあくまでも「予定」に過ぎんのだ。楽しみにしているリゾートだって「ほんとうは」どうなるやら、今は誰にも分からんのだよ。いや、決して「だから刹那的に生きよう」という意味ではなく。

 

何度でも思い出す。結婚した最初の日に旦那が言った言葉。

「一生幸せにする、なんて約束はできない。でも、その日その日を楽しく過ごす努力をしていこうと思う」

この日から13年、今のところ私は幸せに暮らしております。ありがたいことだと日々感謝しております。そういえば、旦那と付き合い始めてからもう20年以上が経っているのか。げげっ。時が過ぎるのは早いなぁ。老けるはずじゃわい。

 

ま、明日はカープ勝つといいな、という未来への展望を胸に抱きつつ、明日はお寺さんに行って参りますわん。

 

***

 

ここ一週間ぐらいで一番ビックリしたことは、毎日通っている茅野駅前のビルにある大時計のオルゴール曲が、まさかの平沢進さん(P-MODEL)作曲だと知ったことだった。


茅野市ベルビアの時計の時報(平沢進)

素敵な音楽でしょう。高原の町・茅野にふさわしい爽やかな曲でね。前はこの時計には小鳥のギミックがいくつか仕込んであって、音楽に合わせて嘴や羽根を動かしていたものだった。現在は故障したらしくて小鳥はいないんだけれども。

この駅前ビルには、茅野市の児童館やら市役所の出先機関やらが入っているもんで、茅野に嫁いできた頃から頻繁にお世話になっているのよ。だもんでこのオルゴール曲は幾度となく聴いていたんだけどね。まさかそんなビッグネームの手によるものとは思ってもみなかった。驚きだ。

P-MODELといえば、私がずっと尊敬するミュージシャン/プロデューサーである佐久間正英さんの、そのプロデューサーとしての初仕事にして、P-MODELのデビュー作である『美術館で会った人だろ』を思い出す。


P-MODEL - 美術館で会った人だろ

後に色々と調べてみたところによると、この佐久間さんと平沢さんという2つの大きな才能のタッグは、あまり愉快な仕事ではなかったらしい。しかしながら、そうであったにせよ、この曲が日本のテクノポップ史に残した功績の大きさは変わらない。

そんなことを考えつつ、今日も私は茅野駅前のベルビアビルの大時計の下を歩くのだ。