つれづれぶらぶら

「予告先発」という単語を見て胸がトゥンク。ついに始まるのね……!

『ドミトリーともきんす』

先日、ネットの海を泳いでいたら、とても素敵な本を見かけたのである。 

ドミトリーともきんす

ドミトリーともきんす

 

なんてお洒落な表紙かしら、誰の本かしら、と思ったら、ああ、なぁんだ、高野文子先生か、それじゃセンスが良いのは当たり前じゃありませんか。

言うまでもなく高野文子先生は日本漫画界のレジェンド的存在。極めて寡作な作家であるにもかかわらず、その漫画は他の漫画とは一線を画す、独特なセンスと卓越した描写力、なんともいえない温かくどこか懐かしい雰囲気に包まれている。なお、大田区にある「昭和のくらし博物館」の展示協力などもなさっておられます。 

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ところがたまたま図書館に行ったら、そこにまさしくこの本が置いてあった。本の神様のお導きか。借りましょうそうしましょう。

 

『ドミトリーともきんす』は、この本の「あとがき」によると、実用に向く漫画を作ろうと思い立ち、お気に入りの自然科学の本を紹介する漫画を描いてみた、とのこと。

そこで、舞台を「お母さん(ともこ)と幼い娘(きんこ)が賄っている小さな下宿屋さん」とし、その2階には、科学の勉強をする4人の男子学生が住んでいる、という設定にした。その4人の学生とは――

朝永振一郎(量子電磁力学に関する業績によりノーベル物理学賞を受賞)

牧野富太郎(近代植物分類学の権威)

中谷宇吉郎(世界初の人工雪の製作に成功した物理学者)

湯川秀樹(中間子論の提唱により日本人初のノーベル賞に輝く)

この偉大なる4人の科学者が、もしも若き科学者の卵で、もしも同じ下宿に住んでいたならば、どんなふうだったろう――という空想を短編連作漫画にしたもの。それぞれの漫画の後には、その漫画のアイディアのもととなった書籍が紹介され、科学者自身の言葉が引用されている。

そう言ってしまえば、ちょっと難解な漫画なのかな、と思われてしまいそうだが、あくまでも漫画自体の語り口は柔らかく、ユーモアに溢れていて、まるで絵本を読んでいるかのような味わいで読み進めることができる。

トモナガくんは鏡の中の世界に夢中になるあまりにおうどんを伸ばしてしまうし、ナカヤくんは天からの手紙(雪の結晶)をせっせと読みふけり、マキノくんは蝶々になってお花の蜜を飲みに飛んでいってしまい、ユカワくんはきん子の手の中の松ぼっくりの存在する在り処について考えている。そんな個性的な学生たちとのお喋りは、とてもファンタジックでまるで詩のようでもある。

そしてこの漫画の最後は、湯川秀樹の書いた一編の「詩」によって締めくくられる。

ごみごみした実験室の片隅で、科学者は時々思いがけなく詩を発見するのである。

しろうと目にはちっとも面白くない数式の中に、専門家は目に見える花よりもずっとずっと美しい自然の姿をありありとみとめるのである。

湯川秀樹「詩と科学――子どもたちのために――」より)

 

この本を読んでしみじみと思ったことは、漫画内で引用されているそれぞれの科学者の文章が、それ自体とても素晴らしくて気品があり、そして説得力がある、ということ。私のような日本語フェティシズム野郎なんぞは「おお……なんという……お美しい……」とメロメロになってしまうのである。変態か。おうさ、変態だよ俺ァよ。

そういうようなすべての物理法則、ひいてはすべての自然法則を包括して規制するような、そういう基本的なこの法則ですね。

これはつまり、神様が左ぎっちょであるか右ぎっちょであるかというような、そもそも神様の性格にかかわることなのです。

朝永振一郎「鏡のなかの物理学」より)

本統に何物もない虚空に、眼に見えない力の渦巻があって、その廻る速さがだんだん速くなって行く。するとその中心のあたりからほの白く瓦斯状の物質が生まれて来る。そういう夢と老人の読経の声とがもつれ合って、いつの間にか、生まれたばかりの星雲の姿が、ぼんやりと眼に見えて来るのであった。

中谷宇吉郎「簪を挿した蛇」より)

花は黙っています。それだのに花はなぜあんなに綺麗なのでしょう?なぜあんなに快く匂っているのでしょう?思い疲れた夕など、窓辺に薫る一輪の百合の花を、じっと抱きしめてやりたいような思いにかられても、百合の花は黙っています。

牧野富太郎「なぜ花は匂うか?」より) 

 

個人的な話をすれば、私は学生時代にあまりにも国語に傾斜しすぎて、理数系の学問に関心を抱きつつも、どこか自分から遠ざかってしまっていたところがあった。

ところが、学校でのお勉強を離れて見れば、私はやっぱり自然科学が大好きなのだ。

山口県の須佐ホルンフェルス大断層のあの白と黒の光景には息を呑んだし、グラスフロッグの透明な身体の奥に小さく脈打つ心臓にも目を奪われた。

上野や名古屋の科学館では「霧箱」を長いこと眺めてしまう。今こうしている瞬間にも、どこか遠い天体から放たれた宇宙線の一筋が私の身体を貫いて、またあっという間にさらに遠い天体の向こうへと駆け抜けていく。無数に。限りなく。

道端の小さな草の、その豆粒ほどの花の中にも、可愛いフリルや凝った色付けが施されている。ネジバナの花のかたち、オオイヌノフグリの花弁に丹念に描かれた青い線、ロマネスコフラクタル構造のつぼみの形、松ぼっくりに隠されたフィボナッチ数列

ああ、数学もきっと面白いのだろう。どんな複雑な世界の秘密も、たった一行の算式に収斂してしまう数学の力は、禁断の魔導書を覗き込むようで、ああこの禁断の力を若い時分に会得できていたならばどんなに素敵だったろう、と身悶えする私である。

 

自然は面白い。それを解析する人々もまた、面白い。

そんなことに気付かせてくれる漫画、『ドミトリーともきんす』、オススメです。