つれづれぶらぶら

カセットテープミュージックで久々に「レインダンスが聞こえる」を聴いた。こんなカッコいい曲だったかな。懐かしいな。

半分に裂いても死なないからハンザキと言うらしいが

『標本バカ』を読んでいたら、あーやっぱり科博(国立科学博物館)行きたい行きたい、てかもうどこでもいいから自然科学系の博物館に行きたいよぅ、という気持ちがムラムラわき上がってしまって辛抱たまらん。 

sister-akiho.hatenablog.com

そう考えているうちに、ふと、20年ほど前に訪ねた岡山県津山市のとある博物館のことを思い出したのだった。

あれは確か、Mさんに連れていってもらって、津山にお花見に行ったときだったと思う。津山のお花見の名所といえば鶴山(かくざん)公園である。またの名を津山城址という。城山に上ると、眼下に多くの桜の木が、まるで薄桃色の雲のじゅうたんのように広がっていて、とても美しい風情なのだ。

で、お花見を楽しんだ後で、鶴山公園の入口のところに小さな博物館があることに気付き、ついでだからちょっと入ってみようや、と立ち寄ったのだと思う。

 

そして、そこは衝撃の博物館であった。

 

外観からして古めかしかったが、中に入ると、さらにレトロ感――父の部屋にあった昭和中期の百科事典を開いたような雰囲気――が全体的に漂っていた。津山基督教図書館高等学校夜間部の校舎を改装して作られたという、その博物館の名は「津山科学教育博物館」と言った。

今でもやっているのだろうか。そう思って調べてみると、現在はつやま自然のふしぎ館という名称に変わって、今もなおあの当時の面影を留めたまま、元気に開館しているのだという。

www.fushigikan.jp

おお、どうやら公式サイトを見る限りにおいては、私とMさんが訪れた20年前の展示と大して変わっていないようだぞ。もちろん展示物のいくつかは入れ替えられているのだろうが。

というわけで、ここから先の記述は、20年前の記憶を基に書いていく。もしこの記事を見て実際に訪ねてみて、その展示物が既に存在していなかったら申し訳ないが、20年前の話だと思って読んでいただけると幸いである。

(いや、だがしかし、多分まだ存在している可能性のほうが高そうな気がする……。)

 

この博物館の見どころは、標本の数と種類が豊富なことである。

津山城跡入り口に位置するつやま自然のふしぎ館は世界各地の動物の実物はく製を中心とした自然史の総合博物館として1963年11月に開館しました。 館内は約1,500㎡の広さがあり、動物の実物はく製をはじめ、化石、鉱石類、貝類、昆虫類、人体標本類等約20,000点が常設展示されています。(公式サイトより引用)

はい、ちょっと今、気になる言葉が目の前を横切りました。

うん、そう、もっかい読んでみよっか。

 

「動物の実物はく製をはじめ、化石、鉱石類、貝類、昆虫類、人体標本類等 」

 

「人体」?

…………「人体」ィィィィ?????( ´゚д゚`)

 

そう、実はここの展示物には、ガチの「人体標本」があるのだッッッ!!!

しかも、ガチもガチで、その標本とは、この博物館を創設した森本慶三氏本人の臓器なのである。ホルマリンの中に漂う心臓や肺、肝臓、腎臓、脳。そしてその横には「自分の死後、自分の臓器を標本にするように」としたためた遺言書が一緒に展示されている。もちろんこれらの展示に当たっては、正規の手続きに則って許可を受けている。

いくら自然科学好きな標本バカであっても、自分自身の肉体を研究素材に活用してもらおうと思うものであろうか。その遺言を受けたところで、そのとおりに執行しようと思うものであろうか。森本親子の覚悟を思うと、キャーキャー怖ーい、と簡単に通り過ぎることはできなくて、Mさんと「すごいもんだね」と感嘆しながら観察した記憶がある。

 

その他にも数多くの剥製や標本が並んでいたのだが、なんというか、ちょいちょい雑なところがあったり、笑っていいのかツッコんでいいのかリアクションに戸惑うところもあったりしたのだ。例えば、明らかに作りかけとおぼしき小鳥の標本がごろりと転がしてあったり、ニュージーランドに生息するキーウィという鳥の剥製のすぐ横にキウイフルーツの皮がごろんと置いてあったりしたのはご愛敬だったのだろうか。

しかしながら、標本・剥製の種類の多さは本当にかなりのもので見応えがあった。どうやら、ワシントン条約の規制がかかる前から保有していたものだそうだ。現在ではめったにお目にかかれない希少動物がたくさん見られるぞ。

 

そんでもって、私とMさんが最もインパクトを受けたのが、あるオオサンショウウオの展示であったのだ。

天然記念物であるオオサンショウウオ中国山地に多く生息していて、中国地方では「ハンザキ」という名でも親しまれている。

広島県出身の文豪・井伏鱒二の代表作『山椒魚』は、サンショウウオが岩場から出られなくなってしまう悲哀を描いた短編であるが、その井伏鱒二もビックリしてしまうであろう、その問題の標本について、説明しよう。

 

春の始めのことであった。そのサンショウウオは、雪解けの冷たいせせらぎの中で目を覚ました。目を覚ましたとたん、腹が減ってきた。猛烈に腹が減っていた。するとちょうどそこへ、一尾の大きな鯉が泳いで近づいてきたのである。サンショウウオは無我夢中でその鯉にかぶりついた。鯉の頭からがぶりと、半身ほどを丸呑みにしたのである。

その時、サンショウウオは気がついた――この鯉が、自分の予想よりも大きかったことに。口を全開にして、喉の奥深くまで飲み込んでしまったが、そのまま飲み進めることができない。そして、うっ。い、息が。息が、できな、い。ど、どうして。あ、あ、ああ、鼻の孔が。内側から、鯉の、身体に、ふ、塞がれ、て、い、息が、くる、苦しい、くる、し、……………。

かくして、サンショウウオは冷たい水の中で、窒息して死んだ。大きく開けた口から、同じくピクリとも動かない巨大な鯉の半身をはみ出させたまま。

その後で、別の若いサンショウウオがのっそりと近づいてきた。彼は死んだサンショウウオにちらりと目をやったきり、その口からはみ出した鯉の半身をかじり取ると、またのそのそと遠くへ去って行った。冷たい水の底、死んだサンショウウオと下腹部をかじり取られた鯉は、初春の陽光を浴びて、静かにそこに留まっていた――。

  

うん、まぁ、本当にこんな感じの標本だったのだよ。巨大な水槽の中にあったのはホルマリン漬けのオオサンショウウオと、その口からはみ出した千切れた鯉の半身。そしてその横の解説文には、ざっくりこんな内容の事柄が記されていた。さすがに小説形式ではなくて、事務的な淡々とした解説文ではあったのだがね。

私とMさんは、その解説文を読み、大口を開けたサンショウウオのおマヌケな顔を眺め、これはいったいどのようにリアクションするのが正解なのだろうかと模索しつつ、しばらく言葉が出なかったことを覚えている。

……もちろん、博物館を出た後で2人して大爆笑したのは言うまでもないが。

 

いやー、しかし今もまだ健在なんだなぁ、あの博物館。岡山県にも長らく行ってないなぁ。また機会があればぜひ行きたい、その折にはまたあのオオサンショウウオのおマヌケな顔を眺めたいと思うのであった。

あー博物館に行きたい行きたい。水族館にも行きたい。動物園にも行きたい。はよ自由に県境をまたぎたいなぁ。ううううう。