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『なぜ花は匂うか』

実家にいた頃、牧野富太郎博士の植物図鑑を一冊持っていた。

正確には、父が若い頃に購入したという古い図鑑で、父の書棚の隅にあったのを貰い受けたのだった。牧野博士の美麗な細密画の横に旧仮名まじりの説明文が添えられたもので、学生の頃、勉強の合間などに時々取り出しては、くっきりとした線で描かれた植物の姿を眺めていたものだった。  

卓上版 牧野日本植物圖鑑

卓上版 牧野日本植物圖鑑

  • 作者:牧野富太郎
  • 発売日: 2017/09/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

そういえば、私はわりと子供の頃から植物好きであったのだ。私が生まれた広島の五日市町(現在は広島市佐伯区)には大きな植物園があって、休日にはそこに連れていってもらって大温室の中の珍しい植物をぼーっと眺めるのが好きだった。

大人になってからもこの植物園は私の心の拠り所の一つであり、仕事などでストレスが溜まると此処へ来てベゴニアやフクシアの可愛らしい姿に癒されたりしたものだ。

 

さて、なんでこんな話をしているのかというと、牧野富太郎博士の随筆集『なぜ花は匂うか』を図書館から借りてきて読んでいるからなのだ。 

牧野富太郎 なぜ花は匂うか (STANDARD BOOKS)

牧野富太郎 なぜ花は匂うか (STANDARD BOOKS)

 

 この随筆集の存在を知ったのは、先日ご紹介した高野文子先生の『ドミトリーともきんす』であった。 この漫画の中では「マキノくん」は蝶々に変化して下宿の窓からフラリと花々の蜜を吸いに行ってしまう浮世離れした青年の姿で描かれている。

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そこで、実際の牧野博士はどんな人物であったろうかと思って『なぜ花は匂うか』を読み始めたのだが、結論から言えば、高野先生の描いた「マキノくん」そのままの、まったくもって俗人とは異なる世界に生きている人物であった、ということが分かったのである。

 

この本には小説家の梨木果歩先生による「永遠の牧野少年」と題した解説文が添えられているのだが、それによると、牧野少年は高知の造り酒屋の跡取りとして生まれたものの、幼少期から植物採集に没頭し、小学校を中退して独学で植物学に取り組み、最終的には東京帝国大学に出入りして講師を務め、植物学博士の学位を得た。

が、本人は学位にも学歴にも名誉にもまるっきり興味がなく、ただただ植物をひたすらに学問したいという圧倒的な情熱を94歳で没するまで持ち続けたというのだから凄まじい。

 

そんな牧野翁が書いたエッセイは、植物への偏愛に満ち満ちている。

私は植物の愛人としてこの世に生まれきたように感じます。あるいは草木の精かも知れんと自分で自分を疑います。ハ、、、。私は飯よりも女よりも好きなものは植物ですが、しかしその好きになった動機というものはじつのところそこに何にもありません。 つまり生まれながらに好きであったのです。

(「植物と心中する男」より抜粋)

こんなふうに書いていても、俗人であれば、文章のどこかしらに名誉欲だとか色欲だとかがにじみ出てしまうものであるが、牧野翁の文章からはそんなものは一切出てこない。ただひたすらに、植物へ近付き、虫眼鏡で覗き込むようにその花弁の奥へ、蕊の上へと進み、やってきた蜂の身体に花粉がまぶされていくその一部始終を事細かに描写していくのだ。そしてその一部始終を瞬きもせず魅入られたように見つめている牧野翁、いや、マキノ少年の興奮と陶酔が、その行間から浮かび上がってくるのだ。

 

そして、この随筆集を読み進めるうちに、私はあることに気付いた。

 「ヒトの気配」がしないのだ、これらの文章には。

通常、エッセイでは、筆者の周囲の人々の事柄が描写されることが多々ある。例えば、先日ご紹介した『標本バカ』は、標本作りや学術研究に関する専門的な話が中心になっているものの、随所に、研究仲間や恩師、家族への言及があった。2人の息子さんが戦隊ものなどのカードをコレクションするのに夢中になっている、という極めて家庭的なエピソードもあって、同じ男の子を持つ母親としては親近感を覚えたりもしたのだが。

ところが、牧野翁のエッセイの中に、そういった人々の姿はない。たまに他人の名前が書かれているなと思ったら、「〇〇博士はこの植物の名を××と言っているがそれは誤りである」という類の文章になることがほとんどで、しかもその言い方がかなり厳しい。きちんと観察していれば違うことがすぐに分かるはずだ、勘違いしたまま放置しているのは全く愚かなことだ、といった感じでけっこうキツめの批判が続く。

多分だけど、牧野翁は人間があまり好きではないのじゃなかろうか。奥さんとの間に子供を13人も成したと巻末の略歴にあるが、それにしては文章の中に妻も子供もまるで姿を現さないのだ。

奥さん(壽衛)は植物採集や研究に没頭する富太郎のことを「まるで道楽息子を一人抱えているようだ」と言いながら貧乏生活のなか家族を支え続け、50代の若さで亡くなったというから、まるで漫画『美味しんぼ』の海原雄山の妻のようじゃないか。しかし、妻の死後、仙台で新種の笹を発見した富太郎は、その笹に、妻の名をとって「スエコグサ」と命名したそうだから、夫婦の間のことは他人には分からんもんだなぁ。

ところで、そんな「ヒトの気配」のしない文章の中で、ほんの一か所だけ、存在感を持った人物が登場する。それは『狐のヘダマ』と題された、幼少の頃の思い出を描いた随筆の中のことである。山の林の中で、フットボール大の白い丸い玉を見つけて驚いた牧野少年は、それがキノコであることは分かったが、それが何かは分からなかった。

家に帰ってから、山で見たキノコの化物のことを祖母に話すと、祖母は、「そんな妙なキノコがあっつるか?」と不思議そうにいった。これを聞いていた下女が、

「それや、キツネノヘダマとちがいますかね」

といったので私は、びっくりして下女の顔を見た。すると下女は、「そりゃ、キツネノヘダマにかわりません。うちの方じゃ、テングノヘダマともいいますさに」といった。

この下女は、いろいろな草やキノコ の名を知っていて、私はたびたびへこまされたものである。

(『狐のヘダマ』より抜粋)

直感ではあるが、この下女の存在が「生まれながらの植物好き」であった牧野少年を、さらに深い植物偏愛への道へ推し進めたのではなかろうか。勝気で負けん気が強く、天才を自負して憚らない少年にとって、この下女は「最初のライバル」だったのではなかろうか。 あるいは、他に植物好きがいない牧野家の中で、好きな植物の話を聞いてくれる相手として、この下女の存在があったのかもしれない。

 

さて、そんな「永遠の少年」を生涯貫いた牧野翁だが、ちょっと俗人離れにもほどがあるというか、あまりにも無邪気すぎて、思わずオイオイとツッコミたくなる箇所が随所に出てくる。

例えば、1936年、74歳のときに書かれた『夏の植物』という随筆の中では、牧野翁が時流を憂いているくだりがある。はっきりとは表現されていないが、昭和11年といえば、かの「二・二六事件」があった年であり、この事件をきっかけに軍は政治介入を強めていき、これが後に太平洋戦争へと進んでいくことになるのである。

翁は、「今日のように人心の危険におもむきつつある時世に、この人間同士の思いやりの心が欲しい」と述べ、「草木を愛するようになればこれによりて確かに人間の自愛心を養うことができると信ずる」として、だから世人は植物に趣味を持つべしとして、結論として東京植物同好会への勧誘の言葉で段落を結んでいる。

戦争や喧嘩なんかするのは植物を愛さないからだよ、こんなに素敵な植物を皆で愛すれば天下泰平ラブアンドピース、という植物学者の主張。いやはや。実際には当時の軍隊には植物云々という言葉はこれっぽっちも響かなかったであろうし、草花を愛でている場合じゃないと一言のもとに切って捨てられるであろうが、だがしかし、牧野翁は大真面目にそう信じていたのだろうなぁ……。

 

そして、梨木果歩先生も指摘するとおり、牧野翁は環境保全の方面にはまるで無頓着であったらしい。山をまるごと一つのツバキ園にしたいナァとか、一山をイチョウ林にしたら壮観だろうナァとか、けっこうムチャクチャなことを仰る。

そのムチャクチャに歯止めがかからないのが最後に掲載された『漫談・火山を割く』であり、これはもう本当に、あちこちから(とりわけ静岡・山梨あたりから)お叱りを受けそうな放言オンパレードである。

曰く、富士山に宝永山があるのはコブみたいで醜いから削ってしまえ。富士の山にも流行の美容術を施してやれば姿がよくなるから、この案にみなみな賛成でしょう、とか。

富士山が大爆発しないかナァ、山一面に大量の溶岩が流れるさまは壮観至極だろうナァ、夜中に遠近から眺めれば闇に紅の富士山が浮かび上がって見ものだナァ、見たいナー、さくや姫、オ・ネ・ガ・イ、とか。

大正12年に遭遇した地震が、あまりにもあっけなく終わって、どんな揺れ方だったかイマイチ覚えていなくて残念だから、また大きな地震こないかナー、相模洋の海庭あたりでポツポツその用意にとりかかっている頃かしらん、とか。

伊豆の小室山を縦半分に割って、火山学や岩石学、地質学の研究材料にしたら、世界各地から観光客や学者が見学に集まってくるから大賑わい、鉄道も引いたら大儲け、国の富が増えて、削った土砂はどこかの海を埋め立てれば広い土地が出来る、どうだ素敵なアイディアだろう?とか、とか、とか……。

いやいやいや、これ全て牧野のおじーちゃんが言ってるんだからね。私に向かってそんな怒った顔をされたって困るわさ。落ち着け静岡の人。

まぁ、なんにせよ、梨木先生の「永遠の少年」という人物評はまったくもって正解である。まるで鉄道好きの少年がひたすら自分の好きな車両や路線の話を一方的に話し続けるかのごとく、マキノくんはひたすら植物を愛し、皆も自分と同じように植物を愛したらいいのに!と疑いもなく信じ抜いているのであった。遠くで見ているぶんには愛らしく魅力的だけれども、近くにいる人々はさぞや大変だったろうなぁと思うのである。

しかし、牧野富太郎という稀代の植物学者の残した数々の功績は、それはもう絶対的に揺るがないのであって、日本の植物学を大きく発展させた偉人であり、尊敬してやまないのだ。

そんなわけで、私の昔からの夢は、いつか「高知県立牧野植物園」に行ってみたい、ということなのであった。植物園好きとしてはこれは絶対に外せない。つくばにある科博の植物園にも行ってないしナー。ああ、お出かけしたいお出かけしたい、うずうず。