つれづれぶらぶら

「予告先発」という単語を見て胸がトゥンク。ついに始まるのね……!

ただ、書きたい

はてなさんが20周年なんだそうだ。

すげえな。私はまだはてなさんに引っ越してきて1年ちょっとなもんで、へーすごいな、ってぐらいのうっすいリアクションしか取れないんですが、いやまぁ、おめでとうございます。

しかし、20年前っていうと2001年じゃんか、ってことは、私が魔法のⅰらんどに居座り始めたのとちょうど同じ頃ってわけですね。魔法のⅰらんどさんが1999年生まれ、はてなさんの人力検索サービスの開始が2001年。20世紀から21世紀へ移り変わるその過渡期に、広大なネット宇宙でたくさんのコミュニティが産声をあげていたというわけだ。感慨深いねぇ。

で、はてな20周年を記念して、はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」なる特別お題キャンペーンが始まったというので、まぁ久しぶりにお題に乗っかってみるのもいいか、せっかくのお祝いだし賑やかしも必要じゃろう、と、こうしてパソコンに向かっているわけなんでございます。

 

でも、まぁ、はてなさんにこんだけお世話になっといて何を言うかって話なんだけれども、私の本拠地はやっぱり今もなお魔法のⅰらんどのほうだ、という気持ちは、心の中のどっかには、ある。最近はほとんどあっち寄ってないけど。ってか、今、久々に自分の創作ページを覗いてみたら、あんなに放置されまくってんのに、未だにちょっとずつPVが伸びてんのね。ビックリしちゃう。どちらのどなたさまがお読みくださったのやら存じ上げませんが、すみません、古いものしか置いてなくてすみません、ダイ王の天野編、1年以上ほったらかしですみません。

これはもう本当に、心の底から本気で、「何で、わざわざ時間を割いて、私の書いたもんなんか読んでくれてるの?」って、いつもいつも思う。ⅰらんどでの創作物もそうだし、このブログ自体もそうです。世の中にはもっと素敵な文章、心躍る物語、明日から使えるライフハック、有益な情報がいっぱいあるんだぜ。

私の書いてるもんったら、カープ、ごはんの記録、カープ、おススメ映画に漫画にアニメに音楽、カープ、旅の覚え書き、息子と旦那の内輪受けネタ、単なる思い付き、カープカープ、広島カープ。そればっかじゃが。何の有益なネタもありゃせんで。

それが分かっているのならば、なぜお前は今日もネットに何かを書こうとしているのか、と問われるのならば、それはただ一言、「自己満足のため」。それ以外の何でもありはしない。お金やAmazonギフト券のために書いているわけではない。そんな器でもない。そんなこた2001年のあの頃から重々承知だ。

インターネット文学、なんぞと言われると違和感がすさまじくて背筋がぞわっとするが、私にとって、愛すべきインターネットテキストの世界はなんだろうか、と考えると、やっぱり「あの頃、魔法のⅰらんどに人々が書き散らしていたもの」だと思う。 

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それを一言で言い表すとしたならば、「パッションだけで書かれたもの」とでも言おうか。書きたい、という熱意だけでそれらは書かれ、ごく親しい仲間たちに見せびらかし、きゃあきゃあと騒ぎ合って楽しんでいたもの。女子中学生が授業中に机の間で回していた、あの複雑怪奇な形に折りたたまれた「お手紙」の、そのままの延長線上にあった「インターネット上の文学」。今も授業中に紙のお手紙って回してるんだろうか。それとも今の子供たちはLINEとか使ってんのかねぇ。

文章力も構成力もないから、どっかで見たような漫画やドラマをいびつにトレースしたかのような「ケータイ小説」が、あの頃のⅰらんどには山のように存在していた。もちろんプロレベルの作品もいくつかはあった。そして謎の『トラ・トラ・トラ』……あれ本当に何だったんだろう。未だに謎だわ。

そういう玉石混交のカオスサイト、あの頃のⅰらんどを思い出すと、今でも胸の奥でポッと小さな炎が揺れる。私が現観夢幻くんと、夜の更けるのも忘れるほどに興奮して、ひたすら設定を練り上げていたあの頃。楽しかった。とても楽しかった。ドラマチックな展開を思いつき、決め台詞を考え、登場人物の性格や背景を議論し合い、脳味噌の中はアドレナリンでいっぱい、もう書かないなんて我慢できない、書きたい書きたい書かせて書かせて、睡眠時間なんてどうでもいい、お肌の健康なんて後でどうにかする、明日の仕事なんて今は考えない、夜のとばりの下で私はガラケーのプッシュボタンをひたすら高速で押し続け、あるいはパソコンのキーボードを叩き続けた。

あの頃の私に、今の私から一言、言っておく。

お肌の健康は、後ではどうにもならんぞ。老化って言葉、お前、知っとったか?

 

………脱線した。

考えてみれば、インターネットの世界に入る前から、私は「ただ、書きたい」人間だった。

小学2年生の頃から「おはなし」を書き始め、中学生の頃はひたすらマンガを描いていた。おかげで中学時代の通知簿の総評欄には「成績は良いのですが、授業中にマンガばかり描いています。やめるよう言ってください」という同じ言葉が延々と並んでいたっけなぁ。多分、しょっちゅう先生や親に叱られていたんだろうが、そのへんは記憶から既に消えている。マンガの設定やキャラクターは未だに覚えているけど。あ、あと、中学の頃から「小泉秋歩」ってPNをずっと使っているのだ。もはや自分のもう一つの名前であると言っても過言ではない。

で、中学の終盤だったか高校に入ってからだったか、だんだん「絵を描くのがメンドい」と思うようになり、要するに私はマンガじゃなくてストーリーを書きたい人だったんだ、絵はそれほど好きでもなかったんだ、と気づいて、大学ノートにひたすら「物語」を書き散らかすようになった。とはいえ、エピソードはいくつか書けても、それをまとめて1本の物語に仕上げるだけの能力はまだなくて、思い付きのセンテンスだけが書き殴られていくばかりであったが。

そのとき、ついに時は21世紀を迎えたのである。インターネット宇宙のビッグバンだ。もやっとした原初のガスや塵が、インターネットという宇宙空間のカオスの中でぶつかり合い、結びつき、反発して、また融合して、手と手を繋ぎ、私の頭の中にあるこのアイディアと、あなたの頭の中にあるそのアイディアが、化学反応を起こして、猛烈なエネルギーの塊となって、歪だけれども愛おしい、ケータイ小説という小さな星々を生み出した。大切な私たちの赤ちゃん。ネット上に響きわたる、たくさんの産声。

しかし、その蜜月は長くは続かなかった。ケータイ小説文化とお肌の曲がり角は、思ったよりも早くやってきた。残されたのは「オワコン」、そして、がさがさのお肌。

魔法のⅰらんどという王国が、その領土を縮小するというので、立ち退けというお触れが出された。仕方なく私は、身の回りの思い出話だけを鞄に詰めて、崩れ去る我が城を背にしながら、国境の山を越えて旅に出た。そして、どこかの村の外れに辿り着き、そこに小さな東屋を建てて、ひっそりとブログを書くことにしたのだ。 

sister-akiho.hatenablog.com
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辿り着いたその村の名前は「はてな村」というようであった。

村の中央にある広場に行けば、名前を聞いたことのある有名なブロガーさんたちが巧みに筆を走らせ、盛んに議論をしていた。それらの議論を聞くのはとても有益な時間であったが、自分はそこに加わりたいとは微塵も思っていない。やれやれ、今日も良いお話を聞くことができましたなぁ、と自らの東屋に戻っては、またいつものようにカープとごはんとヲタクの話を書き散らかすばかりであった。引っ越してきた当初に村の運営から貰った「スター」とやらも、使い道が今ひとつピンと来なかったので、早々に止めてしまった。

こうして、今日も私は、ひたすらに何かを書いている。

 

そして、最近、うすうす気づいているのだけれども、どうやら私は、ストーリーじゃなくて、ただテキストを書きたい人間のようだ。これを認めてしまうとただでさえ放置しているⅰらんどの創作物がますます遅延してしまいそうなのであまり認めたくはないのだが、いやしかし、テキスト書いてると幸せ。もう、なんやったら、仕事の報告書だって書き上げたら自画自賛して、何度も自分の書いた文章を読み返しちゃうもん。

自分の書くテキストが好き。上手下手っていう意味じゃなくて、自分の好みに一番合っている文章っていう意味で。だって自分の好みに合うように書いてるんだもん。

だから何回も同じ言葉を繰り返すようだけれども、私のブログは、明日の私の通勤電車の暇つぶしのために書いている。一番の読者は私。そして今日の私は、明日の私が喜ぶような文章が書きたい。ただ、書きたい。書かせて。このネット宇宙の隅っこで。