つれづれぶらぶら

「予告先発」という単語を見て胸がトゥンク。ついに始まるのね……!

『長い道』

またしても、茅野市図書館で、こうの史代さんの『長い道』を借りてきた。 

これを借りてきたのはいったい何度目だろう。本当に、そろそろこうの先生から「買いなさい」とお叱りを受けても仕方ない気がする。カイショなしの読者でスミマセン。

以前にもこのブログで何度か取り上げているが、この漫画は本当に奇妙な――人によっては不気味な――印象を受ける漫画である。 

 

(このブログは物語のネタバレを扱っています)

 

甲斐性なしで定職に就けず、そのくせギャンブルと女が好きでいつも貧乏ばかりしている老松荘介(おいまつそうすけ)のもとに、ある日、いきなり見知らぬ若い女が訪ねてくる。「君は?」と尋ねる荘介に答える代わりに、その女は、荘介の父親からの手紙を読み上げるのだった。

おんどれのヨメじゃ このドラ息子

というわけで荘介へ 腹は出てきたか?

喜べマザコン! 飲み屋で知り合った人が娘さんをくれたぞ

嫁を貰ったからには まじめに仕事しろよ この水虫野郎

追伸… おまえ絶対ハゲるぞ!!

(p13『ハゲるぞ!!』) 

その女・天堂道(てんどうみち)は、「酔うと何でも人にあげる癖」がある道の父親と「酔うと何でも盗ってくる癖」がある荘介の父親との間で、どうやら酒の席で勝手に縁談を進められてきたらしい。酔いがさめた双方の親から懇願されて、道はすんなり婚姻届に記入し、にこにこ微笑みながら、荘介のもとに嫁ぎにきたのだった。

荘介は驚きながらも、2時間後に他の女を家に呼んでいることを思い出し、散らかった部屋を急きょ道に掃除させようとして、「じゃあ今すぐヨメさんになってくれ!…で、そうじが済んだらすぐリコンな!すぐだぞ!!」と言う。ひどい男である。

…わかりました

荘介どのが乗り気でないなら仕方ないわね

でもわたし 小さい頃からぼーっとしていて

こんなに頼まれたりアテにされたりしたことなんてなかったから

ちょっと面白かったですよ!有難う

 (p15『ハゲるぞ!!』)

しかし、荘介が呼んだ女は道の姿を見て怒って帰ってしまい、そのまま成り行きで2人は夫婦になるのである。

かなりナンセンスなエピソードではあるが、そもそもこの漫画が1話3~4頁のドタバタコメディ・ショートショートなので、掴みとしては満点だ。カイショなしの夫と、ノー天気な妻。そんな2人のあったかくておかしくて切なくて心にしみる54のプチ物語、という体裁の漫画なのだから。

しかし、この「小さい頃からぼーっとして」いる女が、いきなり見ず知らずの男のもとに嫁がされる、という構図には、どうしても『この世界の片隅に』との関連を思い浮かべてしまう。

この世界の片隅に』の主人公・浦野すずも、いきなり呉の北條家から見合いの話を持ち込まれ、ろくに顔も見ないうちに、見ず知らずの男である北條周作のもとに嫁がされ、その日から北條家の家事全般を担わされることになるのである。ただ、それはナンセンスなエピソードでは、決して、ない。ほんの50年ほど前まで、日本では結婚といえば見合い結婚が主流だった。恋愛結婚至上主義の現代ではもはや考えられないことだが、好きでもない男と好きでもない女が家族になるのが当たり前の時代だったのだ。

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出典:国立社会保障・人口問題研究所ホームページ (http://www.ipss.go.jp/

しかし、『長い道』は現代の物語であり、そもそもこれは正式な見合い結婚でもなんでもない。なんだかよく分からないままに結婚した荘介と道は、恋愛感情もないままに、ただ2人で日々をのほほんと暮らしていく。荘介は好きな女ができるとすぐに別れたがり、ようやく就職したかと思うとすぐに辞める。たまに道にプレゼントをくれたかと思うとパチンコの景品。通帳の残高は底をつき、道の喫茶店のパートでなんとかやりくりしているものの、電気やガスを止められることもある。それでも懲りない荘介は、遊ぶ金ほしさに道を質屋に売り飛ばそうとしたりもする。本当にひどい男だ。

それでも道は怒りもせず、ずっとにこにこ笑っている。

わたしはどうも普通より鈍いらしくて

でも荘介どのといると退屈はしないわ

毎日けっこう面白いですよ

(p33『そうですか』) 

もう、こうなってくると不気味である。 「ぼーっとしている」とか「普通より鈍い」とかいう言葉で誤魔化されるほど、読者はノー天気ではない。

いつもにこにこ笑っている健気な嫁さんの心の奥に何が渦巻いているのか、『この世界の片隅に』の原作漫画、もしくは『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の映画で、既に我々は知っているではないか。 

sister-akiho.hatenablog.com

そう、道もまた、実は心の奥に渦巻くものを隠し持っているのだ。そのヒントは、夏祭りの夜、金魚すくいに興じている2人が出会った竹林賢二という男である(『で誰?』)。道を旧姓で呼び、親し気に話しかける。道は頬を赤らめている。荘介は気になって仕方がないが、道は「昔の事」とはぐらかして教えてくれない。

道はいつも穏やかに微笑んでいて、めったに感情を露わにしないのだが、荘介が竹林のことに口を出してくるたびに、あからさまに不愉快な顔をする(『円の国』『けんか傘』)。道が大事そうに使っている壊れかけた傘が、竹林の傘であることに気付いた荘介は、あることに気づく。

…なあ道

お前 竹林賢二がこのへんに住んでんの

本当は知ってたんじゃねえの?

だからうちに来たんだろ?え?

(p108『けんか傘』)

荘介の言葉に、道は静かな怒りをこめて「そうよ」と答える。

その後、荘介のもとに嫁いできた理由を「あの人の街に住んでいるならきっといい人だという気がしたのです」と、微笑みながら荘介に語る道。なるほど、それで道の行動理由がすっきり分かった――わけがない。

人はそんなに簡単ではない。女はそんなに簡単に、心の奥を言葉で説明したりはしない。そんなに簡単に語れるものでもない。感情は深い底で渦巻き、複雑に重なり合っている。竹林賢二との思い出は道にとって心の一番奥に隠した宝物であり、何も知らない者が無神経に触れることは決して許されないのだ。

ねえ荘介どの おカネのほうはよくわからないけど 

もし荘介どのの願いがかなって 本当に大切だと思う人に出逢った時

おかえりと言うのは わたしではなくなるのかもね

でも そういう事ならいいのです

シアワセになったかなあと心配しなくてすむもの

竹林どのの時みたいに

(p66『貧乏神!』)

道と竹林との関係は、単行本の中央に挟まれた『道草』という14頁の短編によって明らかにされる。これは雑誌に掲載されたものではなく、こうの先生が自費出版で発表したものである。

いつものようにごろごろしている荘介は、かいがいしく家事をする道に向かって、いつものように軽口を叩く。

「ヨシヨシ 可哀そうになあ 道」

「な 何ですか?」

「だってそうだろう 親の言いなりにケッコンして

好きでもない男にめし作って アルバイトして」

「……好きでもない男?」

(p150『道草』)

道は何か言いたげに微笑んでいる。荘介はパチンコの景品があったことを思い出して道にハンカチをプレゼントする。その金魚の刺繍を見つめていた道は、どこかへ出かけていく。

出かけた先は神社の階段。前に金魚すくいをした場所。その階段で、道はぼんやりと座っている――誰かを待つように。

そこへ竹林が通りかかる。偶然の再会を喜び合い、2人は肩を並べて歩く。眼鏡をかけた少女とすれ違う。少女は竹林を見て、「あっ おじさん」と親しそうに声を掛けて走って行く。そして竹林は道に、あの少女の母親と結婚するつもりであることを告げるのだった。

案の定大反対されたけど あの時でもう慣れてるしな 

四年前に旦那さんを亡くしたんだと でも判ってるしな

そうそう忘れるものでない事ぐらい

相手が生きていても 十年経っても

そして新しい好きな人が出来ても

(p157『道草』)

ずっと待っていたのですよ わたしはこの日を 竹林どの

素敵になったわね きっとその人に出逢ったせいなのですよね

…竹林どの

わたしもシアワセになってもいいのですよね?

(p160『道草』)

これらの台詞の端々に、2人の学生時代のこと、お互いを思う気持ちが透けて見える。恋をしていた2人。何らかの理由で引き裂かれ、それでもお互いへの恋は消えずに胸の奥に残っている。おそらくは、道の「心」は一度、その時点で死んでしまったのだろう。

このコミックスの巻頭を飾る、白黒の扉絵は、仲良く抱き合い見つめ合う荘介と道の姿を描いている。その上に手書きで書かれたタイトル『長い道』は、「道」の文字が崩されて、ひらがなの「うそ」とも読める形になっている。長い嘘。こうの先生のあとがきにも「偽物のおかしな恋」という言葉がある。

コミックスの扉絵はもう一枚、カラーイラストがある。青々とした竹が茂る林の中でひとり、晴れ晴れとした笑顔を浮かべる道の姿が描かれている。竹林に抱かれた道、その屈託のない笑顔――なんと露骨なネタばらしなのか、こうの先生ったら。

竹林との間にあった恋は叶わず、その時点で道の心は閉ざされた。荘介と見つめ合う道の笑顔は「うそ」なのか。

ここで不意に、『この世界の片隅に』に登場する遊女・テルのことを思い出した。水兵と心中しようとして川に身を投げ、結果、肺炎で死んだ彼女のことを。

まあ好きっちゃ好き

知らん人っちゃ知らん人たい

この頃は次々船が戻って来てここは大繁盛やけん

ただ

なんや切羽詰まって気の毒やったと

(『この世界の片隅に』中巻p111)

気の毒だった、というだけで、よく知らない人とともに死ぬことを選んだテル。片渕須直監督の見解では、テルはかつて炭鉱で賑わった北九州・筑豊の出身であるという。その街で生まれ育った少女が、どのような過去を経て、呉の遊郭で働くようになったのか、それはどこにも描かれていない。しかし、テルの心の奥にも、きっと忘れがたい恋、その恋を失うことになった悲しい記憶があるはずなのだ。おそらくは、テルの心は既に死んでいる。だからこそ、偽物の恋に殉じて死ぬことをも厭わないのだ。

では道の台詞はどう捉えたらよいのだろう。

『夕凪の街 桜の国』で、原爆直後の惨状の中を生き残った皆実は、打越のプロポーズを受け止めることができない。打越との幸せな未来を思い描こうとすると、あの日死んでいったたくさんの人々のむごたらしい姿が脳裏に蘇ってきて、そっちではないと引き戻されるような気がするからだ。生き残ったという「罪」を背負った自分には、シアワセになることは許されていない――そう思うからだ。

だとすると、道も何かの「罪」を負い、その罰として、道はシアワセになろうとしていなかったのだろうか。偽物の恋に身を殉じて、遠くにいる誰かのシアワセを心配してきたのだろうか。

そして、もうその心配をする必要はなくなった。罪は許されたのだ。その気持ちが、あの台詞に込められていると思っていいのだろう。このエピソードは、本編の『昔の人』を経て最終話の『いつか来た道』にて、決着がつくこととなる。

一方その頃、荘介も自らの心の変化に気づき始めていた。

いつものように他の女に恋をしても、道のことを思い出して戻ってくる(『ほうきと荘介』)。パート帰りの道を迎えに来て、不意うちでキスをする(『秋の空』)

道 おまえって馬鹿だなー 曇ってるっていま言ったのに

ほんと馬鹿 おれなんかと結婚しちゃってさ

…今さらイヤだって言っても おれもう別れてやんないかもよ

(p208『秋の空』)

偽物の恋。おかしな夫婦。セックスは酔っぱらった時の1回しかしていない。荘介は相変わらずカイショなし。明日も明後日もそのまた先も、きっとこのおかしな日常は続くのだろう。でも、それでいいじゃないか。嘘から出たまことという言葉もあるじゃないか。ゆっくりと時間をかければ、きっとその日々がかけがえのない幸せな宝物になる。

 

さて、ここまで長々と、荘介と道、竹林の関係に焦点を当ててこの作品を眺めてきたが、実のところそれはこの漫画のストーリーの縦軸の1本に過ぎない。この漫画の面白さは、わずか3~4頁のショートショートという制約の中で、こうの先生が思いつく限りの実験的な仕掛けをふんだんに盛り込んだナンセンスショートコメディである。

例えば、さつまいもの切れっぱしが信じられないスピードで巨大化していく『さつまいもちゃん』、台詞がクロスワードパズルになっている『交差する言葉』、道があべこべの世界に迷い込む『水鏡』、どんどんお金が集まってきてしまう『膨張』と、どんどん財産がショボくなっていく『収縮』の連作、道が賃貸物件の間取り図を見ながら空想するだけの『住めば都』、世界がミカンに乗っ取られていく『蜜柑の国』、まったく台詞がない『秋のしらべ』などなど、ナンセンスで愉快な物語がたくさんある。また、エキセントリックな双方の家族たちが巻き起こすドタバタ劇も楽しい。実際、「荘介どのといると退屈はしないわ」というのも、あながち嘘ではないと思うんだな。

こうの作品の奥行きの深さを存分に堪能できる作品であり、他の作品と比較して検討するのも面白い、そんな『長い道』、ぜひご一読を――って、そろそろ買わなきゃなあ(やっぱりカイショなし)。