つれづれぶらぶら

5月の反射炉ビヤ行きますよー!酔い蛍グループの皆さんにまた会えるかな?

赤は戦う色だ

今週のお題は「赤いもの」だそうだ。

私にこのお題を与えたら、出てくる答えは決まっている。

カープだ。

私が最も愛する色、。広島の街には、赤色がとてもよく似合う。ああ、2016年の秋、広島の街は見渡す限り、どこもかしこも赤かったなぁ。

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しかし、今でこそカープのチームカラーは「赤」だが、球団創設当時のチームカラーは「」であったことをご存じだろうか。ドラフト好きの方なら、カープの球団旗が「紺地に白でH」であることに戸惑われた経験もあるかもしれない。「広島……東洋……」というあの低音イケメンボイスとともに画面に表示されるアレだ。元々のチームカラーが紺色であったこと、カープが広商野球の伝統の上に存在することをあのフラッグは今に伝えているわけなのだが、まぁ、それはさておき。

そのカープのチームカラーが赤に変わったのは、1975年(昭和50年)の出来事である。その仕掛け人こそが、ジョー・ルーツ監督であった。

球団創設から25年間優勝なし。最下位常連のカープをどうにかすべく、劇薬として投入されたのが、闘将ジョー・ルーツ。彼は「負け犬根性」の染みついたカープの選手を鼓舞すべく、思い切った意識改革をやってのけた。その最たるものが「帽子・ヘルメットを赤くすること」だった。そのあたりの経緯は、この記事をご一読いただきたい。

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赤い帽子はいやでも目立つ。チンドン屋が赤い衣装を着ているのは目立つためだ。そんな赤い帽子を被ってエラーなんぞしたら観客から一斉に見られてしまう。ダラダラしてたらすぐに気付かれてしまう。そんな恥ずかしいことできるか――選手の意識はいやでも張りつめざるを得なかった。それこそがルーツ監督の狙いだった。「優勝するんだ」と選手を鼓舞し、闘志をかき立てた。赤は燃える色、情熱の色、戦う色だと。

そのルーツ監督は、しかし、その年の4月27日に監督を退くこととなる。しかし、赤いスピリットを与えられたチームは、その後ぐんぐんと勝ち進み、ついにその年、念願の初優勝を果たすこととなるのである。

真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。苦節二十六年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ。

(中略)

カープは原爆の野に息吹いたペンペン草、踏みにじられ、見捨てられても、屈することのない雑草であった。それ故にこそカープファンは、いつの日にか花開くことを夢見て、愛し続けてきたに違いない。

(1975.10.16 中国新聞「球心」より抜粋)

カープの球団創設から見守り続けてきた中国新聞の記者・津田一男氏が、優勝直後に感涙にむせびながら書いたと言われる珠玉の名文である。

この1975年という年は、カープにとって最も大きな転換点となった年であった。それまでは遠征移動の際は選手自らが野球用具を手にして運んでいたが、これを専用トラックによる配送に変更。このトラックに描かれたのが、あの「カープ坊や」のキャラクターである。さらに、この年の8月には『それ行けカープ』がリリースされた。現在に繋がる色々な事柄が、この1975年の変革により生まれたのである。

そして、この優勝により追い風を受けたカープは、これ以降しばらく黄金期を迎えることになる。いわゆる「赤ヘル旋風」である。山本浩二衣笠祥雄といった球史に残る名プレイヤーを続々と輩出し、1991年までに、2年連続日本一、6度のリーグ優勝に輝くのである。男の子たちがこぞって赤い帽子を被り、ファミスタカープを使って遊んだ時代である。

 

かつて、赤色は「女の子の色」であった。

現在もトイレや銭湯のマークは女性が赤、男性が青または黒となっているものの、現在ではランドセルの色もカラフルで、男子が赤を選んだとしても、とりたてて違和感を感じる人は少ないだろう。私も息子に赤のTシャツやリュックを買い与えていたし、息子もそれを恥ずかしいと感じることもなく、周囲も普通に対応していた。1975年の2月には「男が赤い帽子を被るなんてとんでもない、恥ずかしい」という反応だったというのに。いったい、少年たちを取り巻く「」事情はどう変化していったのだろう。

 

奇しくも、その同じ1975年の4月のことであった。あるヒーローの存在が、少年たちを熱狂させたのである。

秘密戦隊ゴレンジャー』。

今に繋がるニチアサのヒーロー。その戦隊シリーズのヒーローといえば、その中心となるのがアカレンジャーに端を発する「レッド」の戦士である。チームを鼓舞し、的確な指示を与えるリーダーシップと、強大な敵にどんなに苦しめられても決して諦めずに立ち向かう不屈のファイティング・スピリットを持つ戦士。おっと、これはまるで、ジョー・ルーツが求めた選手の姿ではないか。そして何度倒れても、最後には必ず勝つ。かっこいい。少年たちが心酔するのも無理はない。赤は戦う色、かっこいい色だと、現在に至るまで、レッドは少年たちの憧れとして存在し続けている。

 

さらに、1975年に連載を開始した漫画『サーキットの狼』を火付け役とする「スーパーカーブーム」があった。真っ赤なスーパーカーフェラーリ・512BB。スーパーカーを模した消しゴムを集めていた諸兄もいらっしゃることだろう。

 

それからやや遅れて、1979年には『機動戦士ガンダム』。カッコイイと言えば、そりゃもう「赤い彗星」ことシャア・アズナブルである。それまでの勧善懲悪の単純なストーリーではなく、主人公側にも敵側にもドラマがあり、敵側のスーパーエースにして、苦悩を抱えた美青年・シャアの姿には、少年だけでなくお姉さま方ももれなくイチコロになった。坊やだからさ、と不敵に笑い、赤いモビルスーツに颯爽と乗り込む姿は、そりゃもうカッコイイが溢れて氾濫を起こすレベルである。

 

赤ヘル旋風、戦隊ヒーロー、スーパーカーブーム、そして赤い彗星と、70年代後半をざっと見ただけでも、「赤の変革」は凄まじい勢いで進んでいたのである。そして今もなお、赤はカープファンのみならず多くの人々に愛される色として存在する。

赤は情熱の色。危険な色。血潮の色。発情の色。戦う色。

いざ戦え、全ての赤を愛する人々よ。


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