つれづれぶらぶら

「予告先発」という単語を見て胸がトゥンク。ついに始まるのね……!

小野・矢彦神社に詣でる

そういえば、小野・矢彦神社にまだお参りしてなかったなと、ふと思い出したのである。

小野・矢彦神社は信濃国二之宮である(なお、一之宮は諏訪大社)。地元の人は「おのやひこ」と一緒くたに呼ぶが、実際には小野神社と矢彦神社という2つの神社である、ということは知っている。私の知識なんてその程度だ。

ただ、小野神社の名前自体は、嫁ぐ前から知っていた。なぜかというと、かつて諏訪の古代信仰について調べていたとき、「鉄鐸(さなぎのすず)」なる呪術道具の存在を知り、それは現在も、諏訪大社上社本宮、神長官守矢史料館、そして小野神社に現存するという情報を得ていたからなのである。

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鉄鐸というのは、鉄の板を丸めて筒状にし、中に金属の舌を吊るした大きな鈴のことで、これを杖(矛)の先に付けて鳴らすもの。古代、シャーマン(呪術師)はこれを鳴らしながら神懸りしていたとのことで、一説によると、かのアメノウズメもこれを使って神懸りしていたのだそうな。

というわけで、小野神社には一度訪れてみたいなぁ、ということを、何年かに一度思い出していたのだが、その都度なんとなく行きそびれていたのである。

するとこの前、たまたま諏訪のケーブルテレビ局・LCVで『御柱と諏訪信仰――変わり種の「御柱」を歩く』という番組を見ていたら、小野・矢彦神社の話も登場したのだった。御柱の特徴を分類分けするという、実に諏訪っぽい、極めてマニアックな内容だったが、めちゃめちゃ面白かった。この番組は諏訪市公式YouTubeチャンネルでも公開されているので、御柱に興味がある方は是非ともご覧あれ。


www.youtube.com

で、雪が降ったり路面が凍結したりし始めたら、おちおち出歩けなくなるなぁと思い、思い立ったが吉日とばかりに出掛けてみることにした。

 

小野・矢彦神社は、塩尻市の南端、北小野という地域にある。いや、この「塩尻市にある」という表現は、実は正確ではないのだけれども、とりあえず今はこう言っておく。説明は後で。

諏訪から塩尻北小野に行くルートはいくつかあるが、行きは岡谷駅前から県道254号線(楢川岡谷線)を経由して行くことにした。ちょっと道が分かりづらく、アップダウンもそれなりにあるものの、ゴール地点が矢彦神社のちょうど真ん前というルートだ。

小野神社は矢彦神社の北側に並んで建っている。小野神社の北側にある駐車場に車を停め、まずは小野神社からお参りすることにした。しかし、社務所が閉まっていて、境内には誰ひとりいない。よく見ると駐車場の端に小さな案内図が貼ってあった。ふむふむ。

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資料館も閉まっていた。資料館の入口の掲示によると、どうやら一般開放日が決まっているらしく、12月は先週の土日が最後の公開日であった。なんと、残念。事前にホームページを見てくればよかった。まぁ、悔やんだところで仕方がない。

tokimeguri.jp

誰もいないせいもあるが、静謐な雰囲気の神社であった。高い樹々に囲まれた厳かな空気が何とも言えず良い。

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上の写真は拝殿である。この拝殿脇を通って裏手に回ると、高い垣根に覆い隠されているのだが、一か所から内側が覗きこめるようになっていた。こちらが本殿と勅使殿である。

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こちらは神楽殿の前にある一の御柱。ちなみにこちらの御柱祭諏訪大社御柱祭の翌年である卯年と酉年に行われるそうだ。

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ところで、例の鉄鐸について、このような掲示があった。

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この説明文の中にある「御鉾様」にも行ってみた。拝殿に向かって左、二の御柱のすぐそばにあった。「御鉾社(おぼこさま)」とあり、雰囲気のある古木の下に苔むした石があり、玉垣で囲まれている。

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具体的にどのような祭祀であったかは不明だが、樹の下に石があり、そこで鉄鐸を鳴らして神懸りするというのは、諏訪大社の古代においてもミシャグジ降ろしの神事にあった。精霊が樹から石に降りてきて、そこにいるシャーマンに憑くといった感じだったろうか。

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さて、この境内をそのまま横へ通り抜けていくと、もうそこは矢彦神社の境内なのである。中で完全に繋がっていて、あれ、なんでここにまた御柱があるんだろうと思うと、それは矢彦神社側の御柱なのであった。

なんとなく気が引けるのでいったん道路に出て、改めて外から矢彦神社を眺めてみる。

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こちらもまた、とても威厳のある立派な神社であった。すぐ前の道路は交通量が多くて賑やかだというのに、境内に入るとひんやりとした静かな空気が漂っている。

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こちらは神楽殿。この裏手に勅使殿があって、さらに拝殿へと続く。いずれも県宝に指定されており、細かな彫刻が見事な素晴らしい建造物であった。

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こちらでも、拝殿の裏手に回ってみる。本殿は見えないが、御柱が立っていた。こちらは右手奥にある矢彦神社の四の御柱。向こうに見えるのは小野神社の三の御柱である。2つの神社が近接して建っていることがよく分かると思う。

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さて、冒頭で「塩尻市にあるというのは正確ではない」と言ったが、実は、この矢彦神社は、地図上は塩尻市の中にあるが、辰野町なのである。要するに、飛び地だ。グーグルマップで塩尻北小野を検索したら分かるが、この一角だけがくりぬかれたような形になっている。

なぜこんなことになっているのかは、詳しくは上に貼ったリンクから矢彦神社のホームページの解説を読んでほしいのだが、元々は1郷であった村が2つに分けられたため、神社も2つに分かれたという経緯があるようだ。そういえば前に松本市の千鹿頭神社を訪れたときも、1つの境内に2つの神社という変わった形であったが、これもまた政治の事情によって分裂したという背景があったっけな。

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この小野・矢彦神社は、一説によると、タケミナカタが諏訪に侵攻しようとした際に、諏訪には先住勢力である洩矢神がいて入れなかったため、しばらくこの小野の地に滞在したということらしい。タケミナカタ率いる出雲勢力が、諏訪にどのように攻め入ろうかと、この地で策を巡らしていたのかと想像すると面白い。

帰りは、小野・矢彦神社の前を通る国道153号線を南に下り、辰野町の平出まで下って、そのまままっすぐ進めば諏訪へ抜ける有賀峠だが、あえて遠回りをして国道19号線を通って岡谷に向かってみた。天竜川を北上するルートである。しばらく進むと岡谷市街地が見え、そしてその先は諏訪湖――釜口水門である。

かつて見に行った藤島社の前を通り過ぎる。その対岸にあるのは洩矢神社である。この天竜川が諏訪湖とぶつかるこの場所で、かつて、タケミナカタ洩矢神は激しく戦ったという。

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その寸前、小野の地でタケミナカタは何を考えていただろう。呪術的な鈴の音、複雑に伸びた巨木の枝、苔むした石、精霊の息吹。千年以上の時を隔ててもなお、この地にはまだ神々の気配をそこかしこに感じることができる。だから面白いんだなぁ。