つれづれぶらぶら

5月の反射炉ビヤ行きますよー!酔い蛍グループの皆さんにまた会えるかな?

諏訪大社(上社)御柱祭 2022年の山出し

6年前の今日は、御柱祭の真っ最中で、てんてこ舞いしてたんですよね。4月2、3、4日の3日間をかけて、諏訪大社(上社)の御柱祭が開かれていて、御柱屋敷のある宮川安国寺地区にある旦那の実家に朝早くから詰めて、せっせと「お宿」の準備をしているところでした。いつ訪問客が来てもいいように、LCVの御柱祭実況中継をずっと流しっぱなしにして、そろそろ天麩羅を揚げないと間に合わないかしら、ビールはまだ足りているかしら、あっ紙皿がもう足りないから買ってこなきゃ、とか色々と忙しかったんです。

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ところが、今年の御柱祭は異例も異例、人力で曳くことを諦めて、トラックに御柱を2本ずつ積んで運搬するという苦肉の策になってしまったことは前にお話ししたとおりです。

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で、私のほうも、お宿をやることに熱心だった舅がいなくなり、旦那はもともと御柱祭に関わりたくないというのが本音だったので、今回の御柱祭からはもうお宿はやらないことにしよう、と前々から決めてあったんです。と思っていたら、今回は直会も禁止、曳行中の飲食も原則控えて、曳行に関わるのも地区の役員など限られた人々のみ、ということで、そもそも「お宿」の必要もなさそうです。

そして、トラックで一気に山から御柱屋敷まで運ぶということで、上社の山出しは4月2日の1日だけでやってしまうことになりました。お祭りのハイライトとなる「木落し」や「川越し」もなし。普段なら3日かけて山の上から里まで、木遣り歌を歌いながら、沿道でお酒や食事をふるまわれながら、代わる代わる大勢で曳いてきたのが、実にあっさりとしたものです。えらく寂しいなという気持ちもありますが、私個人の気持ちとしては、コロナ禍という未曽有の事態にきちんと向き合い、柔軟に対応したなぁという感心する気持ちのほうが大きいです。なんせ、諏訪人にとって御柱祭は何よりも大切なお祭りですからね。それを大幅に変更せざるを得なかったという状況下で、最大限の妥協をした結果の形なんでしょうよ。

そりゃ、何をどうやっても文句を言う人は文句を言いますよ。勝手なもんです。これで感染症が蔓延すりゃ御柱祭をやったせいだと言われ、何か災害でも起きたら御柱祭をちゃんとやらなかった祟りだと言い出す人が必ず出てきますよ。文句を言う人は文句を言わないと気が済まないわけですから、どっちに転がっても外野からヤジを飛ばしてくるんです。何事においても。そんなもんです。勝手なもんです。

 

それはさておき、私はというと、今回の御柱祭にはもう参加しないのだからと割り切って、ならば諏訪にいても意味がないわと思ったので、先の記事にも書いたとおり昨日は東京にいました。

茅野駅にはこんな顔出し看板が飾ってありましたよ。

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まぁ、お宿をやっていようと諏訪に残っていようと、結局のところ、うちは「御柱祭はLCVで見るもの」という家だったわけですから、東京から帰ってきて、のんびりお風呂上りに、御柱祭の実況中継の再放送を見ていました。ええ、LCVはここしばらくはずーっと御柱祭の実況中継の再放送を流し続けてます。いつチャンネルをつけても御柱祭をやっている、それがLCV。LCVはおんばしらのためにある。

で、実況中継を見ておりましたら、予想していたよりももっと「運送」って感じでした。イメージでは、もっとゆっくりゆっくりトラックが進んで、あっちこっちで停まって木遣りをやったりラッパを鳴らしたりして、ゆーっくり降りてくるんやろうなぁ、と思っていたんですけど、普通にトラックにでっかい木を2本積んで法定速度で走ってました。前後に警察車両がついていて、それなりに交通整理をしているようなんですけど、対向車線は普段通りに車が走ってましたからね。交差点でも普通に止まってるしね。対向車もびっくりしただろうな。なんか向こうからでっかいトラックが超でっかい木を積んで走ってくる!って驚いたかもしれませんね、県外の方だったら。

トラックで運ぶ関係で、曳行ルートも例年とはずいぶん違っていたようです。例年だと「御柱街道」と呼ばれる原村からずっと下って茅野市の宮川小学校まで繋がる道を通り、木落し坂を下って、安国寺へ抜けるルートなんですけど、そのルートって全体的に道が細いんですよね。うねうね曲がっていてトラックだと走りにくそうだし。

というわけで、今回は原村と茅野を繋ぐ主要街道である「メルヘン街道」を通り、茅野市街地では御柱史上初めてとなるトンネルをくぐり、そのまままっすぐ進めばすぐに御柱屋敷に着くんですけど、いったんあけぼのトンネル下の交差点を曲がって茅野町の交差点まで戻り、拡張工事をしたばかりの新しい橋を渡って、ようやく「御柱街道」に合流して、最後の宮川橋の上で雪解け水を放水ポンプで御柱にかけて清め、御柱屋敷に着いたらクレーンで降ろす、という塩梅。普段と違う道を通るので、その街道沿いの人々にとってはめったにない光景を見ることになるわけで、沿道から嬉しそうに「おんべ」を振って御柱を見送っている人もいましたよ。

人力曳行でないことで、もうひとつ大きな違いがあったのが、上社の御柱にはつきものの「めどでこ」が今回はつけられていなかったことです。めどでこというのは、御柱の両側にV字形に張り出す形でつけられた細い柱のことで、例年の山出しでは、そのめどでこの上に多くの人々が乗っかって、それはもう賑やかに進むわけです。木落しのときなんか、めどでこから振り落とされそうになるのを必死で食らいついているのが見どころですね。それが今回は不要ということで、無垢の御柱が運ばれていくわけです。これは新鮮な光景でありました。

とは言っても、実際には、昔の御柱祭ではめどでこはついていなかったそうで、諏訪市博物館で公開されている「御柱絵巻」には無垢の御柱に綱をかけて人々が曳いている姿が描かれています。御柱に人が乗ることも比較的新しい時代になってからのことらしいです。そう考えると御柱祭も時代に合わせて少しずつ姿を変えているってわけですね。

諏訪の観光業としては大打撃であることは間違いないんですが、でも、まぁ、何はともあれ無事に御柱御柱屋敷に着いたのは良かったと思います。LCVも例年にない中継になって大変だったと思いますが、記録を残すという面においては、今回のLCVの記録映像は後世に残るものになったと思いますよ。もしまた未来のいつかに何か大変なことが起きて、それでも御柱祭を諏訪に残さねばならないとなったときに、今回の御柱祭の記録がひとつのヒントになるであろうことは間違いないと思うのです。

5月の里曳きはどうなりますかねー。感染者数が全然治まらないどころかまたちょっと増加してきてるのが気になるけど、どんな形であれ、無事に御柱が建ちますように。