茅野市内で、毎年9月末に行われるイベントが「小津安二郎記念 蓼科高原映画祭」。小津安二郎監督が映画製作の拠点とした蓼科高原にちなみ、平成10年から開催されている映画祭です。
それに併せて、今年は9月28日に「ちのの休日」というイベントが合同開催されました。茅野駅の掲示板に貼られたポスターの「映画とビールと街歩き。」というキャッチフレーズに、思わず足が止まりました。それって私の好きなもんばっかじゃん。
というわけで、9月28日(土)。お昼ご飯を兼ねてぶらぶら散歩しよう、と息子を連れて茅野駅方面へ。「ちのの休日」のメイン会場は茅野駅に隣接する茅野市民館の中庭です。クラフトビール4ブースを含む、たくさんのグルメブースが並び、美味しそうな匂いが漂っています。
ビールもいいけど、とりあえず最初に立ち寄ったのは、茅野市内のワイナリー「オレイユ・ド・シャ」さん。こちらのワイナリーを営むご夫婦とはちょっとした縁があって、まずはご挨拶しとかなくちゃね、と。1杯100円でお猪口程度のワインが試飲できるとのことで、シャルドネを頂きました。一口で飲んじゃった。しまった、写真を撮りそびれちゃったな。すっきりして美味しかったです。息子にはブドウジュース。
さてと、ビールをいただくことにしますかね。上諏訪駅の近くに新しくオープンしたばかりの「有頂天醸造」さんが気になっています。近いうちにタップルームにも寄ろうと思ってるんだけど、まずは1杯いただきましょうか。有頂天醸造の自社醸造第4弾となる最新作の、Dry Hopped Saison「Storm King」。
鼻を近づけると、セゾン酵母のスパイシーな香りがします。口に含むと、ジュワッとした刺激とともに、ホップの強烈な苦みが一気に弾けます。でも苦みはすぐに消えるので、くいくい行けちゃう感じ。柑橘系のフルーティな香りもいいですね。
お次は、やっぱり我が町・茅野の「8Peaks BREWING」さん。ちょうどブースで齋藤社長がサーブしていらっしゃったので、「こないだサミーデの1年熟成をいただいたんですがとっても美味しかったですよ~」などと声をかけさせていただきました。選んだのは、エイトピークスさんのフラッグシップビール「ヤイヤイペールエール」。
鼻を近づけると、オレンジのような甘酸っぱい香りがします。口に含むと、まず甘さが来て、次に酸味、さらに苦みが、一瞬のうちにリレーのように口の中を駆け抜け、パッと消えていきます。う~ん爽やか。美味しいな~。ぬるくなるにつれて、麦芽本来の味わいが前に出てきて、これまた美味しいです。いいですね~。
その他にも、唐揚げやソーセージ、もつ鍋などをたらふく食べ、お腹がいっぱいになったので帰ることにします。イベント会場自体は、茅野駅周辺の色々な店舗を結んで開催されているので、帰りがてらちょっと覗いてみたりもしました。
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その翌日の29日(日)は、茅野市唯一の映画館「新星劇場」へ。
ここは、私が茅野に嫁いできた頃は通常に営業していて、全国で話題になった映画を数か月遅れで上映するような感じでした。息子がまだ赤ん坊だった頃、育児の気晴らしとして、旦那に赤ん坊を任せて映画を観に来たことがあります。『借りぐらしのアリエッティ』とか『モテキ』とか観たっけなぁ。お客さんもほとんどいなくて、ひっそりしていて、静かな館内で映画の世界にどっぷり浸っていました。線路沿いに建っている映画館なので、電車が走るとその震動がかすかに伝わってくるんですけど、それもちょっとした味わいなんですよね。
その後、惜しまれつつも閉館されましたが、映画館としては存続していて、こうした映画祭などのイベントや、移動映写サービスなどの営業を続けていらっしゃいます。
さて今回、私が観に来たのは、映画祭のプログラムのひとつ、濱口竜介監督の『悪は存在しない』です。地元の富士見町と原村をロケ地として撮影された作品です。前にも観ていますが、今回どうしても観に来たかったのは、上映後に濱口竜介監督のトークショーがあるということで、それはもう何を置いても観に来なきゃいかんでしょ!
さすがにこれは満席になるだろう、と思ったので、15時半の開演のところ、15時に到着しました。しかしその時点で3分の2ほど席は埋まっています。前のほうの席になんとか滑り込みました。結局その後も客はどんどん入って満席になり、補助椅子が用意されるまでの事態になりました。危なかったなぁ。早めに来て正解だったわ。
館内が暗くなり、2度目の(『GIFT』も含めると3度目の)『悪は存在しない』を鑑賞。
話の筋は頭に入っているので驚きはありませんが、やっぱり序盤からの不穏な雰囲気に胸がドキドキします。あらためて観ると、この不穏さを演出している主な要素は「音楽/音」ですね。石橋英子さんの音楽は、美しいけれどもかすかにダークな響きを帯び、ミニマルな音の連なりの背後にかすかに不協和音のような音が混ざっていたりして、この先に何が待っているんだろうと不安にさせられます。
そして、シーンとシーンの境目の部分では、音楽をブチッとちぎったかのような切り方をし、その直後に何かの暴力的な物音(チェーンソー、電車走行音など)が画面に先行する形で挿入されています。こういう仕掛けにドキッとするわけです。
あと、やっぱりカメラワークですね。陸わさびからの視点、車内のリアウインドーからの視点など、通常の映画ではあまり見ないアングルに、何か不可思議なものを見ているような気分にさせられます。
とはいえ、映画のところどころではユーモラスなシーンもあり、黛と高橋の車中の会話や、うどん屋で高橋がたしなめられるシーンなどでは、客席から笑い声も上がっていました。あの車中の会話は本当にいいですね。優しげな黛が、わずかに屈折した内面を垣間見せる印象的なシーンです。
他に印象的なシーンといえば、区長さんがチェンバロの話をしているときに花ちゃんがチェンバロを弾く区長さんの指をじーっと見ていること。お母さんの姿を重ね合わせているんだろうな……と、あらためて気づきました。花ちゃん寂しかったのよね……。
映画が終わり、諏訪圏フィルムコミッションの宮坂さんの司会によって、濱口竜介監督が舞台に登壇なさいました。インターネットなどでよく見ているお顔が、自分のすぐそばを通り過ぎていくのは奇妙な感じです。本物だ~。
最初の話題は、濱口監督がロケハン中に捻挫してしまった際に、宮坂さんが速やかに処置をしてくれた、という極めて個人的なトーク。「宮坂さんがすぐに手当てしてくれて助かりました、あれがなかったらこの映画は完成しなかったかもしれない(笑)」と言う監督に、宮坂さんも思わず苦笑い。
さて、私は以前の記事で、『悪は存在しない』の公開当初にミニシアターでしか上映されていない状況に疑問を抱いたと書いておりましたが、今回のトークショーでその謎が解けました。というのも、初回上映をミニシアターに限定したのは監督の意向だったのだそうです。濱口監督はコロナ禍に「ミニシアター・エイド基金」を起ち上げるなど、経済的に打撃を受けるミニシアターを積極的に支援していらっしゃいました。そこで、『悪は存在しない』がベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したことから、有名な俳優は出ていないにしろ映画ファンは観に来てくれるだろうと思い、先行してミニシアターから上映することにしたのだとか。そういうことだったのですね。
この映画の企画が、石橋英子さんのライブパフォーマンス用の映像をという要望に基づいてスタートし、最初は映画として完成させる予定はなかったということは、以前にもお話ししたところですが、宮坂さんの「では、いつ、映画にしようと思われたのです?」という問いかけに、「撮り終わったところで、主演の大美賀さんの声が素晴らしく、いいものが撮れたと思ったので、これは映画として残しておいたほうがいいなと思いました」と監督。
つまり、撮影中は映画にするかどうかが分からない状態だったのですね。「かなり早い時期に住民説明会のシーンを撮っていらっしゃったのですが、この場面は使わないと思う、と言われていたので戸惑いました」と宮坂さん。住民説明会のシーンはロケの序盤に2日がかりで撮ったそうですが、「役者やスタッフにどういう話なのかを共有するには、このシーンを先に撮っておいたほうが良いと判断しました。大美賀さんはそれまで演技の経験がなかったため、最初はとちったりしていましたが、撮るたびにどんどん上達していくのが素晴らしかったです」と監督。
これまでに多くの映画作品をサポートしてきた諏訪圏フィルムコミッションにとっても、濱口監督の現場は本当に異質だったそうです。
まずは、濱口監督の代名詞ともいえる「イタリア式本読み」。感情を入れずに台詞を読む作業を、ほんのちょっとでも時間があると、何度も何度も繰り返していたそうです。監督は「そうすることで台詞が役者の身体に馴染んで、自然に出てくるようになるんです。本番であれこれ考えずに、役者が芝居に集中できる」とのこと。
また、長回しの撮影が非常に多く、住民説明会のシーンでも、カメラアングルを変えて、20分ほどのシーンを何度も撮っていたのだそうです。監督は「ちまちまカットして撮るよりも、一連のお芝居にしたほうが役者も演じやすいだろうと思いました」と。
「音楽と映像はどちらが先だったのですか」という問いかけに対しては、「どちらともいえませんが、デモとなる曲はいくつか先に貰っていました。例えば、だるまさんがころんだのシーンに使った、ミュ~~~ンとした宇宙っぽい音の曲とか。これ、どうやって使ったらいいんだろうと思いましたね(笑)」と苦笑していました。メインテーマとなる曲は、石橋さんが仕上がった映像を見て作ったのだそう。
撮影の裏話として、ローカルな話題もありました。「監督のお気に入りの場所などはありますか」という問いかけに対して、監督は「撮影中は、ちのスカイビューホテルに泊まっていたので、夜はスタッフなどを連れてよく【タイ料理 蘭】に食べに行っていました」と答え、客席がざわつく一幕も。えーっとね、私も茅野市街地に住んでますけど、そのお店の名前は初めて聞きました。有名店では決してないです。トムヤムクンとか食べてらしたそうです。「久しぶりに茅野に来たので、今回も食べに行こうと楽しみにしてきたんですが、定休日でした。とても残念です」と肩を落とす監督の姿に、客席から笑いが起こりました。
こんな店があったんだ。しょっちゅう前を通りかかってるけど全く知らなかった。今度寄ってみようかなぁ。
そして、この映画祭にちなんで、小津安二郎作品の話題も。濱口監督は昨年のベネチア国際映画祭で小津監督の『父ありき』の解説を行うなど、深い造詣をお持ちです。
その話題になったところで、監督がジャケットの前をはだけて、下に着ている「OZU120」のロゴ入りTシャツを見せてくれました(ハーバードの小津映画祭で作られたたものだったかな?)。小津安二郎監督の作品の魅力を語った上で、「小津作品を上映する蓼科高原映画祭の意義は大きいと思います。今後の活動に期待します」とエールを送られました。
観客からの質問タイムも設けられました。最初に手を挙げた男性からは、「この映画を2回観た。おそらく監督は何度も同じ質問を受けていると思うが、ラストシーンの巧の行動が未だに納得いかない。キャストの行動の解釈について、事前に役者と話をしているのか?」との質問が。これには監督も「うーん」と苦笑い。きっとどこの会場でも同じ質問を受けているのでしょうね。「役者と話すかという質問に対しては、いっさい話していません。脚本に書いてある【事実】について、それぞれの役者が解釈して演じています。あのラストシーンの巧の行動では、大美賀さんは感情が全くこもらない表情をしていましたね。僕は、ああ、巧は、やるべきことをやっただけなんだな、とその大美賀さんの表情を見て思いました」と監督。
次の質問は、「信州といえば蕎麦なのに、なぜうどんなのか?」というシンプルな質問。うん、それは私も疑問だったのよね。それに対しては、「湧水を使うという前提でロケ地を探していたら、協力してくれたのがあのうどん屋だったので、うどんになっただけです」と、これまたシンプルな回答。宮坂さんからも、「ロケ地となった【やまゆり】さんのうどんは本当に美味しいです。映画が公開された後、何人かから食べに行ったと報告を受けました」というコメントがありました。
続いては、「藝術大学に進学して映画を撮りたい。濱口監督が映画を撮るモチベーションは何ですか」という若者からの質問。これに対して監督は、「やっぱり映画が好きということ。たくさん映画を観て、小津安二郎監督作品などの素晴らしい映画に感銘を受けて、自分でも何か表現したいという気持ちを持つことです。お互い頑張りましょう」とエールを送っていらっしゃいました。
観客からの最後の質問は、「なぜ富士見町・原村をロケ地に選んだのか」という質問。これには、「石橋英子さんのスタジオが小淵沢にあって、最初の打ち合わせの際にその周辺を見て回りました。彼女の音楽に合う映像を撮るには、きっと、このあたりで撮るのがいいのだろうと思いました」と答えられていました。
そして最後に、宮坂さんから〆の質問。「答えられる範囲で、今後の活動予定をお聞かせください。たくさんオファーも来ていることと思いますが……」との問いに、えーっと苦笑いしながら、「来年はおそらく何もお見せできるものはないと思いますが、再来年あたりに向けて、何か動きだせたらいいなと考えています」と答えられました。楽しみですね。
トークショーは和やかなムードで進み、最後に花束を贈呈して終了。退場する監督を拍手で見送って終わりました。ひとつひとつの質問に、言葉を尽くして語られている濱口監督の姿からは、とても誠実なお人柄を感じました。良いトークショーでした。