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『パッドマン 5億人の女性を救った男』

先日、『「RRR」で知るインド近現代史』という本を読んで『バジュランギおじさんと、小さな迷子』という映画を観に行ったよという話をしたところですが、

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この本の中には、そのほかにも気になる映画がいくつか紹介されていて、そのひとつが『パッドマン 5億人の女性を救った男』でした。


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インドの小さな村で新婚生活を送る主人公のラクシュミは、貧しくて生理用ナプキンが買えずに不衛生な布で処置をしている最愛の妻を救うため、清潔で安価なナプキンを手作りすることを思いつく。研究とリサーチに日々明け暮れるラクシュミの行動は、村の人々から奇異な目で見られ、数々の誤解や困難に直面し、ついには村を離れるまでの事態に…。

それでも諦めることのなかったラクシュミは、彼の熱意に賛同した女性パリーとの出会いと協力もあり、ついに低コストでナプキンを大量生産できる機械を発明する。農村の女性たちにナプキンだけでなく、製造機を使ってナプキンを作る仕事の機会をも与えようと奮闘する最中、彼の運命を大きく変える出来事が訪れる――。

(公式サイトより引用)

 

2008年公開。同年に日本でも公開されていたようですが、その頃は私はインド映画に興味がなかったので気づいてませんでした。今回はNetflixにあったのでめでたく視聴できました。

 

舞台は、現代のインドの田舎町。主人公のラクシュミは、手先が器用でアイディア豊富、そして新婚の妻・ガヤトリを誰よりも熱烈に愛しています。妻のために家事が楽になるグッズを自作してはプレゼントし、妻の喜ぶ顔を見れば嬉しくなる、そんな素朴な男です。そんなラクシュミの不満といえば、月に5日、愛する妻が生理になると「生理小屋」に隔離されてしまうこと。ヒンドゥー教では月経中の女性は不浄なものとされているためです。

月経中の女性に男性が接触することはタブーとされてきましたが、ガヤトリが好きで好きでたまらないラクシュミはおかまいなしで、しょっちゅう生理小屋を訪れます。そんなある日、ラクシュミは、妻が雑巾のような汚らしい布を使って生理の処置をしていることを知ります。そこで薬局で高価な生理用ナプキン(パッド)を買って妻にプレゼントしたのですが、妻はそんな高価なものを買っていたら家計が成り立たないと頑なに拒絶し、使おうとしません。ラクシュミは、そもそも少量の綿を布でくるんだだけの生理用ナプキンがなぜこんなに高価なのかと疑問を抱き、だったら自分で作れば安上がりじゃないかと考えつきます。それが、彼のその後の長い人生を波乱に満ちたものに変えてしまうことに、その時点ではまだ気づきもせずに────。

 

月経や出産を「穢れ」とする考え方は世界中に広くあって、我々が住むこの日本にも同じような隔離小屋があったそうです。女性=穢れとする考え方自体は今でも「女人禁制」のしきたりとして残っていますね。救命措置のために大相撲の土俵に上がった看護師の女性に対し、行事などが「女性は土俵から降りてください」と言った問題は、我々の記憶にも新しいと思います。

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映画の話に戻ると、この映画の前半部分では、愛する妻のために生理用ナプキンを作ろうとするラクシュミは、周囲から「変態」だの「病気」だの「気が狂ってしまった」だのと、いわれのない批判を浴び続けるのです。彼が愛し、守ろうとしている女性自身(妻、実の姉妹、母、親戚や近所の女性たちなど)が、ラクシュミに対し、これは女性のことだから放っておいてくれ、我々は長いことこの布で処置してきたのだからナプキンは必要ないと拒絶し、さらには、男のくせに女の股のことばかり考えていて気持ち悪い、とまで言い放つ始末です。

ラクシュミは医者から、女性が不衛生なやり方で月経を処置するために病気や不妊、死すらをも招いているのだと聞かされていますから、愛するガヤトリを守りたい一心なのですね。でも彼が必死になればなるほど、周囲との軋轢はますます広がっていきます。

ガヤトリも、一度はしぶしぶラクシュミが見よう見まねで作ったナプキンを試用してみましたが、使い物にならず、血で汚れたサリーを夜中じゅう洗濯する羽目になってしまい、それ以降はまったく協力しようとしません。肉親の女性たちにも拒絶され、やむなく女子医学生を追いかけてモニターを頼もうとするも当然のごとく拒否され、それどころか浮気の疑いまでかけられて離婚されかける始末。あげくの果てには村から出て行かざるを得なくなってしまいます。

孤独になったラクシュミは、それでもなお、安価な生理用ナプキンの製造の夢を捨てられません。ナプキンの中に入っているのはどうやら綿ではなくセルロースファイバーというものであることを知ったラクシュミは、家政夫として入った大学教授の家の子どもの助けを借りて、セルロースのサンプルを手に入れることができました。しかし、大学教授から、生理用ナプキンを作るには大型の全自動機械が必要であると言われ、そんな大金の当てがあるのかと嘲笑されます。

それでもラクシュミは諦めません。彼がすごいのは「そもそもそんな大型の機械が必要なのか?」という考えを持ち、セルロースの粉砕、圧縮、包装、殺菌の4工程に分ければ、身近なものを使って安価な機械が作れるはずだと思いつき、それを実行に移すところです。試行錯誤の果てに、彼はようやく4つの工程ごとの小さな機械を作り上げ、それを使って良質の生理用ナプキンを作るのです。

しかし、そのナプキンが実用に足るのか否かは、やはり女性に使ってもらわないと分かりません。そんなとき、奇跡的な出会いが起こります。都会からやってきたミュージシャンの女性・パリーが生理用ナプキンを探しているところに出くわし、自分のナプキンを差し出したのです。翌日、昨日のナプキンの使い心地はどうだったかと尋ねにきたラクシュミを、パリーははじめ気味悪がりますが、彼の熱意に打たれて協力することにしました。経済学を学ぶパリーは、彼の発明した機械を発明の投資コンペに出すことを提案します。結果はグランプリ受賞。この特許があれば大金持ちになれるわよと笑うパリーに対し、ラクシュミは、自分は金は要らないから、もっと安価に女性たちに生理用ナプキンを供給する方法はないかと尋ねるのです。それに対し、パリーは「あなたはもっとたくさんの機械を作る。それを貧困の村に置いて、住民の女性たちの手でナプキンを作って売り歩かせればいい」と提案するのです。

そう、インドの貧困層においては、問題は生理用ナプキンだけではありません。雇用の場がないことも大きな問題だったのでした。自分たちで金を稼ぐことができない女性たちは、横暴な夫に暴力をふるわれても黙って従うしかない。ナプキン工場を作れば、そこで女性たちの雇用も満たされ、作ったナプキンを自分たちで売って生活の足しにできる。薬局で買えば1袋55ルピーもするナプキンを、たったの2ルピーで買えるとあって、住民の女性たちもナプキンを買うようになる。生理中は血の汚れを気にして隔離小屋で身を潜めていた女性たちも、ナプキンを身に着けることで不安なく働き続けることができる。全てが好転し始めた。ラクシュミが作った安価な機械は、インドだけでなく外国の貧困国からも注文され、ついに、ラクシュミには国連で講演する機会を与えられたのだった────。

 

さて、この物語はフィクションですが、そのベースとなった実話があります。ラクシュミのモデルとなった人物はアルナーチャラム・ムルガナンダム。この映画でラクシュミが国連で行った講演は、ムルガナンダム氏が実際に行った講演をもとにしています。


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この公演を聞くかぎり、狂人扱いされたことや妻から離婚されたことは事実のようで、かなりの苦難の日々があったことが分かります。どうしてそこまでの情熱を持ち続けていられたのでしょう。女性固有の問題に対し、男性であるムルガナンダム氏が当事者意識を持って挑み続けたことに対し、驚きとともに深い尊敬の念を抱かずにいられません。

 

この映画の中で、印象的なシーンがありました。後半、眠っているパリーのベッドにラクシュミが近づいていき、そっとパリーに手を伸ばします。ラブシーンが始まるのかと思いきや、ラクシュミの手は、パリーが寝る直前まで読んでいた英語の本をそっと取り上げ、ぶつぶつと呟きながら一晩じゅう熱心に読み続けるのでした。このシーンが、後の国連の公演のシーンに繋がります。ろくな教育も受けていなかった田舎者のラクシュミは、たどたどしいながらも英語で、自分の意思を世界の人々に伝えるのです。

このとき私が思い出したのは、同じく現代インドの貧困を扱った映画『エンドロールのつづき』でした。この映画でも「この国に階級は2つしかない。英語ができる人と、英語ができない人だ」という台詞が語られていましたよね。

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今もなお、世界中には貧困や不衛生、古い因習にとらわれている人々が多くいます。読み書きができない人々もたくさんいます。程度の差はあれ、ほぼ平等に優れた教育を享受することができ、ほとんどの人が読み書きでき、医療も充実して衛生的な日本に住んでいると、そのこと自体がどんなに恵まれているかを忘れてしまいがちですが、こうして本や映画を通じて他の国々の問題を知ることはとても有意義なことであると感じます。良い映画でした。興味のある方はNetflixなどで是非ご覧ください。