つれづれぶらぶら

旅行記まとめ中。情報量が多いけん思い出すんが大変じゃわ。

『桃太郎は嫁探しに行ったのか?』

久々にすっごい本を読んだ。

図書館に行き、いつものように児童向け~ヤングアダルトの棚をあれこれ物色して歩いていた。前にも何度か言ったことがあるが、私は子ども向けに書かれた解説本や論文を読むのが大好きだ。実はオトナもよく理解していないこと・考えたこともなかったような事柄などを、平易で正しい言葉、図や漫画などを用いて、その初歩の初歩、そもそもの部分にまで踏み込んで解説してくれる。

若い頃、営業であちこちの企業を回っていたときは、相手先の会社がいったい何をやっているのか全く分からず、どうやら建設関係っぽいけど、相手先のホームページを見ても専門用語が多すぎて何が何だか……という感じで途方に暮れていたとき、こそっと図書館に行って学研の「ひみつシリーズ」などを読んでいた。あれは本当にいいぞ。とりあえず知ったかぶりできるレベルの知識は身に着けることができるぞ。

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前置きが長くなってしまった。

そんなわけで、富士見町図書館のヤングアダルトの棚を眺めていたところ、この『桃太郎は嫁探しに行ったのか?』という本が目に飛び込んできたのだった。著者は「倉持よつば」さんとある。

表紙をめくると、そこにあどけない顔の女子中学生の写真が掲載されていた。彼女が手にしているのは額装された賞状、そこには「第25回 図書館を使った調べる学習コンクール」中学生の部 文部科学大臣賞、と!

そう、この本の著者は、中学2年生の女の子。しかもその経歴を見てさらに驚いたことに、なんと、倉持よつばさんは小学5年生のときに「桃太郎は盗人なのか?~『桃太郎』から考える鬼の正体~」というテーマで調べ学習をし、同コンクールの第22回小学生高学年の部で文部科学大臣賞を受賞し、本作はその続編となる調べ学習なのだそう。

しかも今回は、コロナ禍での制約をまともに食らい、調査にも思うように行けず、さらには頼みの綱の図書館も閉館してしまうという窮状に陥った中で、小学6年生から中学2年生までの約2年間を費やしてようやく完成したという力作なのだ。

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いやはや、「はじめに」の時点で溜息しか出ないぐらいに驚いてしまったが、驚くのはまだ早い。この本を読み進めるにつれて、私はもう本当に、溜息すら出ないほどに圧倒されてしまったのだ。

この論文のテーマは、言わずもがな『桃太郎』だ。あの昔話の、お腰につけたきびだんごでお馴染みの桃太郎だ。イヌ・サル・キジを連れた、鉢巻き姿の凛々しい少年が、鬼ヶ島に鬼退治に行って分捕り物をエンヤラヤするアレだ。誰しもが一度や二度は聞いたことがある日本昔話を代表するお話だ。

よつばさんは、小学5年生のとき、桃太郎と鬼について調べようと思い立ち、約200冊(!)の本を読んだという。そして、正義のヒーローだと思っていた桃太郎について、全国各地に点在する桃太郎の伝承では、怠け者だったりケチだったりするものがあること、桃太郎は桃から生まれたのではなく桃を食べて若返ったおばあさんから生まれたという話もあることなど、それまでのイメージを覆すようなものが多くあることを知った。それが時代によって少しずつ書き換えられ、戦時中には戦意高揚の目的で読まれていたという悲しい事実も知ったのだった。

さて、よつばさんが一番好きな桃太郎のお話は、福音館書店から出版された松居直さんの絵本『ももたろう』。何度も読み返してきたこの絵本に対し、ふと疑問を感じたことが、今回の「桃太郎は嫁探しに行ったのか?」の発端となっている。

この絵本では、桃太郎が鬼退治をした後で、鬼に「たからものはいらん。おひめさまをかえせ」と言い、宝物ではなくお姫さまを連れ帰って結婚するというストーリーになっている。しかし、よつばさんがこれまでに読んできたたくさんの桃太郎の伝承の中に、お姫さまを連れ帰ったというものはない。いったい、松居直さんはなぜこのような結末にしたのか、そして本当にお姫さまを連れ帰った桃太郎の伝承はないのか。ここから、よつばさんの気の遠くなるほどの調査が始まるのであった。

 

さて、私がなぜこの本に興味を惹かれて手に取ったのかというと、実は私自身も、かつて「民話・昔話」について調べていた時期があり、その中で桃太郎の伝承が全国各地で実にさまざまに違うということを知っていたからなのだった。

とりわけ、よつばさんもこの本の中で「驚いた」と言って紹介しているが、なんと「爺婆を殺してしまう桃太郎」が存在するのだ(徳島県三好郡の伝承)。その桃太郎というのは、とんでもない怠け者でいつも寝てばかりいる。友人に薪拾いに誘われたので山に行ったものの、やっぱり仕事もしないで寝てしまう。夕方になって、薪をちまちま拾うのがめんどくさいと思った桃太郎は、大木を根こそぎ引っこ抜き、肩に担いで持ち帰る。家に着いたものの、その大木を置く場所がないので、無造作に家に立てかけて置いておく。夜中になって、その大木がめりめりっと家を押しつぶし、寝ていた爺さん婆さんは下敷きになって死ぬ。おしまい。……という、めでたしめでたしとは真逆の、実にひどい話であった。よつばさんが分類したところによると、中四国にはこの怠け者タイプの桃太郎が非常に多いようだ。なんでじゃろうのう(遠い目)。

 

なぜ、昔話には色々なヴァージョンが存在するのかという点については、それが本来は「口頭伝承」であるということが主な要因となっている。現代の我々は、きれいに製本された大手出版社の絵本などを読んでいるから、桃太郎にせよ浦島太郎にせよ画一的なストーリーとして認識しているが、本来の昔話は、その地域の物知りの老人が、囲炉裏端で子どもたちに語ってきかせるタイプのものであったのだ。したがって、同じ「桃太郎」というタイトルで話し始めたとしても、語り手の考えや思い込みによるフィルター、その場のノリなどによって即興的に改変されていく。

実は、私自身の祖父も、かつてこうした昔話の語り部であったそうで、以前、父からその録音テープを聞かせてもらったことがある。奥出雲のきついズーズー弁で、地域の子どもたちに語りかけている祖父の声は、幼い頃に祖父を失くした私にとってはたいへん新鮮なものであった。その録音中、祖父は物語の途中、そこにいる子どもたちに「あげだけん、こげなこたぁすーでねーだわぃ。わかったか。」といった感じの教訓を差しはさむことがちょくちょくあった。つまり、子どもたちに何かの教訓を伝える目的でその物語は語られているわけで、おそらくはその物語自体にも、祖父による改変が加えられているだろうと推察されるのである。

 

本の紹介に戻ろう。

中学生の調べ学習のレポートではあるものの、全国の桃太郎の伝承を多角的に分類・比較検討しており、それぞれの調査結果が日本地図の上に色分けで表示されているのは、ビジュアル的にたいへん分かりやすかった。また、桃太郎の物語を構成する主要な5つの観点で分類した結果を一覧表にまとめてあるのが、読み応えがあってたいへん素晴らしく、過去に読んだ専門的な論文にも引けを取らないレベルである。いやホント、この一覧表だけでも手に取る価値はある。絶対に。

そして、これらの分類・比較検討の調査を経た後、よつばさんは、最初の疑問である松居直さんの「ももたろう」ではなぜお姫さまを連れ帰ったのかという問題に取り組む。そして、よつばさんはついに「日本民俗学の父」である柳田國男の論文に取り組むことになるのだった──。

いや、もう、ホントにね、これガチの民俗学研究じゃないかって。私、かつて民俗学に足を突っ込みかけたときに「柳田民俗学かぁ……ちょっと読んでみるか……ぱらぱら(あっ)もういいです」ってすぐに引き返しちゃったんだけど、よつばさんすごい。中学生でこれだけの集中力と執念を持って、ど真ん中から王道の民俗学にがっぷり四つしているその姿にこそ、私は深い敬意を抱く。そしてそれができなかった私に後悔の念を抱く。飽きっぽいんだもんなぁ。めんどくさくなりそうだとすぐにポイしちゃうんだもんなぁ。何かひとつでもちゃんと取り組めてたらなぁ。溜息。

とりあえず、この本によって長野県飯田市に「柳田國男館」という資料館があることを知ったので、いずれ行ってみようと思う。っていうか長野県民だっていうのに、柳田國男飯田市に縁のある人物であることを知らなかったよ。よつばさん教えてくれてありがとうね。

そして、この本にすっかり魅了されてしまった私は、次に図書館に行ったら前作の『桃太郎は盗人なのか?~『桃太郎』から考える鬼の正体~』を借りてこようと考えているところなのであった。いやいやいや、ホントにさ、子ども向けの本はこれだから侮れないんだよ……。

『カラオケ行こ!』ふたたび

前回の記事の続き。

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で、国立駅からまた立川駅に戻ってきたわけなんですが、そんでもって、いったい何の映画を観に来たのかというと、先月観た『カラオケ行こ!』をもういっぺん観に来たわけなんです。

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いやー、あれ以来、頭の中でずーっと『紅』が流れ続けてましてねぇ。もちろん原作漫画の『カラオケ行こ!』と続編の『ファミレス行こ。(上)』、それに映画のシナリオブックまで買って読んだんですが、そうすると原作と脚本の違い、脚本と完成した映像の違いなど、色々な部分を再検証したくなりまして、こりゃもういっぺん観るしかねぇなと。つーか、端的にもっぺん観たいなって、ええもう、早え話が観たかったんすよ。

ネット上の評判もおおむね好評ですね。Filmarksの評価点が4.1で、観た人の感想を読んでいると、まぁ熱っぽく語っている人の多いこと多いこと。何度もリピートして観てます、という完全に沼ハマっちゃった人もけっこういらっしゃるようで。都内では未だにチケット完売の回もあったりして、人気の高さが窺えますね。

とはいえ、そろそろ上映終了になる映画館も出始め、上映回数も1日1回、しかもレイトショーonlyみたいな上映館も増えてきたことから、観に行くんなら早いうちが良かろうと思いましてですね、昨日(17日)に立川シネマシティ(シネマワン)に行ったわけなんですよ。なんで立川を選んだかっていうと、タイムテーブル的に一番便利が良かったことと、さらに【極音上映】だったからです。あの『紅』を、めっちゃええ音で聴きたい、そう思ったからなのです。

 

前回の記事は、封切直後だったこともあってネタバレを極力避けて書きましたけど、今回は語りたいこと全部書きたい。あれもこれも喋らせてくれ~!ってなわけで、以下、映画『カラオケ行こ!』及び原作漫画『カラオケ行こ!』『ファミレス行こ。(上)』のネタバレ満載でございます。ネタバレを避けたい方は、このあたりでブラウザバックのほど、よろしくお願い申し上げます

もういいかな。では。

 

前回、映画を観に行った時点では原作漫画をほとんど読んでいなかった(序盤の試し読み程度)ので、どこが原作どおりでどこが映画オリジナルなのかが分かっていなかったんだけど、原作を読んでみると、予想以上に映画オリジナルの部分が多かったんですねぇ。

私が一番笑った、聡実くんの両親が「愛を与える」シーンは、原作にあると思い込んでたんですよね。だって、あのすっとぼけたテンションの低い感じ、いかにも和山やま的じゃないですか。1ページのコマ割りが容易に想像できますもんね。

聡実くんが(分からん……、愛は与えるものってなんなん……)とかモノローグで言いながら食卓でご飯を食べている。ふと、目線を上げる聡実くん。母親がぺりぺりっと剥がした焼き鮭の皮を「あげる」言いながら無造作に父親のご飯の上に載せている光景。表情はほとんど変わらずに、ほんの少しだけ目を見開く聡実くん。ご飯の上の鮭の皮のアップ、そこに(愛は……与えるもの……?)という追いモノローグ。

こんな感じの1ページがあるもんだと思ってたんですよ私は。ないんですね原作には。にもかかわらず完璧に和山ワールドだというね。野木亜紀子さんすげえ。

和山ワールドといえば、合唱部の描写のほとんども映画オリジナルなんですけど、あそこにいる女生徒たちが『女の園の星』っぽいなと思っていたら、シナリオ集に収録された野木亜紀子さんのインタビューによると、やっぱりそこは意識したんだそうで、山下監督にもそのようにイメージしてくださいと伝えてあったんだそうで。こういう細かい部分をちゃんとスタッフ間で詰めてあったから、シーンとしての違和感がなかったんですね。副部長の中川さんの「わーだー」っていう言い方とか、周りの女の子たちが「中川なにしてんの」「子守り」「えらいなー」って呆れたように見ているのとかね。

 

逆に、これは映画オリジナルだろうと思っていたら原作にあって驚いたのは、狂児の誕生日ですね。昭和55年5月5日。ああ、綾野剛さんだから「ゴー」とか仮面ライダー555(ファイズ)にひっかけてんのかな、ってキャストありきのメタ設定だと思ってたんですけどね、しっかり原作どおりでビックリしましたとも。

 

原作との違いという点で挙げるなら、合唱部の後輩の和田くんのキャラがかなり違うんですね。原作では聡実くんからは一歩引いたようなスタンスで、どちらかといえば客観的な視点で聡実くんを見ている大人びた後輩って感じ。でも映画では聡実くんへのリスペクトを相当にこじらせまくった、思春期真っ盛りの潔癖症の直情少年って感じで、全然違うんでやんの。でも映画としては、この和田くんのキャラがものすごくウザ面白かったっす。まだ精神的に幼すぎて、自分ではなんでも分かっているつもりだけど、実は何にも見えていない。この映画自体が「聡実くんが子どもから大人になっていく物語」なんだけど、和田くんの存在はその聡実くんの前身である「子ども」の投影であって、それによって物語の厚みを増しているわけなんですね。

 

原作と映画の違いを挙げていたらキリがなくて、個々の台詞は原作どおりだけど、その台詞を言っている場面が違うのとかもけっこうたくさんありました。

例えば、聡実くんが「狂児のアホ!」と怒鳴るシーンは、原作では、聡実くんが「宇宙人」に捕まって狂児に助けられた直後。何をしてもうまくいかない苛立ちや自分の未熟さにイライラして、わけもわからず狂児に当たり散らしてしまう、というシーンでした。それが映画では、合唱部のトラブルに巻き込まれて三角関係のような形になってしまっているところを狂児に見られ、青春だねとニヤニヤ言われたことに腹を立てたことに起因して怒鳴る、というシーンになっています。

比較すると、映画の聡実くんの怒りのほうが筋が通っています。逆に言うと、原作の聡実くんのほうがより不安定です。これは先ほど述べたように、聡実くんの中の「子どもっぽさ」は、映画では和田くんに半ば投影されていることによるものではないでしょうか。

では、映画において、聡実くんが「宇宙人」に捕まって狂児に助けられた直後のシーンはどうなっていたかというと、屋上で狂児と語り合うオリジナルシーンになっています。このシーンは映画の中でもとりわけ美しく、変声期によってソプラノボイスがうまく出なくなってしまったという聡実くんの苛立ちが、狂児の言葉によって救われるという内容になっています。このシーンの2人の親密さは実にいいですね。シナリオでは「刺さってもうた矢、抜いて~」という台詞はないので、あれはアドリブなんでしょうかね。このシーンすごく好きなんですけど、なんと公式が切り抜き動画をUPしてくれたっていうね。嬉しいですね。皆も好きでしょ、このシーン。ね。


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ちなみに、「あー、ひっさびさやわー、光合成」という台詞もシナリオにはありません。まぁ、これは最初に映画を観たときから、絶対アドリブやろなと思ってたんで、やっぱそうですよねという感想しかないんですけど(笑)

 

ところで、色んな方のレビューを読んでいると、「この漫画/映画は【BL】か否か」という議論も巻き起こっているようです。これね、私も迷っているところなんですよね。どちらかと言えば、原作のほうがよりBLっぽさがあります。なんせまぁ、『ファミレス行こ。』の上巻の終わり方が、まさかの聡実くんからのバックハグという衝撃的な展開だったもんで、えええええええってドキドキしちゃいましたよ。あれを見た後でもう一度『カラオケ行こ!』から読み返すと、あれもこれもBLっぽく読めてしまう。

映画のほうは、聡実くんにやたら身体をベタベタ近づけたがる狂児がね、特にあの「狂児さんの声域に合う曲リスト」を説明している聡実くんの横顔を愛おしげに見つめているところとかね、綾野剛さんの色気ダダモレでしたけれども、それでも、BLというよりは青春映画っぽいよな、と。そう思えるのは、やっぱり生身の齋藤潤くんの純粋さ、穢れのなさ、潔癖さによるものなのかなぁと解釈してみました。なんかね、性的な意味づけをすることに躊躇してしまう。まだ君はそのままでいて、オトナの視線のフィルターに歪められないで、という母親のような気持ちになってしまうっつーか。

ところで、『カラオケ行こ!』の原作では、全編を通じて聡実くんの心の声(モノローグ)が多用されているのですが、ラスト近くで、そのモノローグは、聡実くんが高校の卒業文集に書いた作文であることが判明するわけです。要するに中学3年から高校3年までの3年間、聡実くんはずっと狂児の記憶を反芻していたってことですよ。「追いかけ続けてしまいそうで怖い、記憶の中のあんたは俺の心の中で光ってるで……ピカピカや……」を3年間、ずっと。多感な時期の中高生に、それはごっつキツいで。

まぁ、こんな蛇の生殺しみたいな3年間を送っていたからこその、『ファミレス行こ。』でのあの屈折した態度になるのかもしれませんけど。『ファミレス行こ。』はモノローグがほとんどないから、聡実くんが何を考えてるのかが分かりにくいんよなー。下巻では幸せになってほしいけどなー、聡実くん。なー。

 

映画の話に戻ると、シナリオ的に上手いなと思ったのが、合唱曲とか古い映画とかにそのシーンの聡実くんの心情を託しているところですね。冒頭のシーンで合唱部が歌っている『影絵』、歌う聡実くんの顔のアップ、そこの歌詞が「戸惑いながら覚悟している」。この歌詞の意味が、その後の映画の内容に響き合ってくる仕掛けなのですね。変声期によって歌えなくなってしまうことや、やがて来る大切な誰かとの別れを、ここで予兆という形で示唆しているわけです。また、白米の上できらめく鮭の皮のクローズアップには、『心の瞳』の「愛すること/それがどんなことだか分かりかけてきた」という歌詞が被さり、これが後のげんきおまもりに繋がっていくわけなんですが。

こういう、台詞で何もかも説明してしまわないで、観客の心の中で物語を完成させるように上手く手助けをしてくれる脚本や演出が、いいなと思ったところですね。あんまり何もかもきっちり物語の中で説明されちゃうと、空想の余地がなくなっちゃうじゃないですか。観客/読者が、物語を観/読み終わった後で、ひとりひとりの心の中で、あのとき彼はなんであんな表情をしていたのかなとか、もしかしたら彼はこう考えていたのじゃないのかなとか、そんなふうに妄想を繰り広げるのが楽しい、それこそが物語の醍醐味なのであってね、この映画はその仕掛けが本当に上手だったから、これだけの人々が沼にハマり、劇場に足しげく通って何度でも物語を反芻しようとしているんじゃないかと思いますね。

 

ところで、最初に述べたとおり、今回は立川シネマシティの【極音上映】で観たわけなんですが、その威力が最大限に発揮されたのは、やっぱりエンドロールの『紅』でしたよ。


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極音上映だと、Little Glee Monsterの歌声よりも、高校生の合唱のほうが強調されて聴こえますね。特に男声パートの低音の厚みがすごかった。いい曲やなぁ、『紅』って、と胸にジーーーーンと響いてきちゃいましたよ。いやぁ、音響が良いのって、やっぱたまりませんなぁ。

 

えーと、えーと、まだまだ語りたいことはいっぱいあるんだけど、綾野剛さんのあのセクシーな低音で「……ね?」って耳元で囁かれたらそらやられるわなぁとか、さすがに映画では「女も聡実くんも乗り心地がよろしいんでしょうなぁ」の台詞はカットされてましたなぁとか、映画を見る部の栗山くんのテンション低い感じも和山テイストが上手く表現されてたよねとか、えーと、うん、ね、話し出すとキリがないんだけどね、やっぱりこの映画最大の見せ場は、聡実くんの歌う『紅』ですよ。

あのシーンは、今回もやっぱり涙腺を直撃しましたよ。あの変声期の少年にしか出せない、魂をぶつけるような歌声はたまりませんね。収録当時に中学3年生だった齋藤潤くんの、この二度と巻き戻せない「一瞬」を逃さずに映像に刻み付けた、その奇跡のような一瞬が、もうどうしようもなく尊くて、観客ひとりひとりの胸の中でいつまでも光ってるわけなんですよ、ピカピカや……。

 

というわけで、4年後ぐらいには、成長した齋藤潤くんと綾野剛さんの『ファミレス行こ。』が上映されたらいいなぁ、と切に切に祈っておるところです。やだもうあのバックハグとかどうなっちゃうのかしら。あああ。妄想の沼に落ちちゃいそう……。

『23時のおつまみ研究所』

いつものように図書館で色々な書架を見て回っていたところ、分類番号596【料理】の棚に、可愛らしい表紙の本があったので手に取ってみました。

タイトルは『23時のおつまみ研究所』。

【おつまみは「料理」にあらず「娯楽」なり】という表紙のキャッチコピーに、お、なんだか面白そうじゃないか、と借り出してきました。

この本は単なるレシピ本ではありません。お酒に合うおつまみにはどういう要素が重要となるのかという点について、実際にあれこれと試行錯誤を重ねていく、お料理エンターテイメント本です。もちろん、レシピ本としても使えますよ。

おつまみに要求される要素とは、例えば、香り、食感、塩気、旨味、温度と刺激など。そのひとつひとつについて、「かまぼこは何㎝がおいしい?」とか「あじなめろう、何回たたくとおいしい?」などの、マニアックかつ楽しい実験ページがあったりします。また、ひとつの料理素材に対してどれだけ「味変」で楽しめるか、などの研究も楽しいですよ。中には、えっ、こんな調味料も合うの?なんて驚くものもあったりして、思わずすぐに試してみたくなっちゃいますね。

また、この本は「読み物」としても楽しめますよ。ところどころに挟み込まれるスケラッコさんの可愛らしい漫画が、この本の全体を貫く物語仕立てになっているのです。

漫画の主人公は、定年退職して現在は嘱託として働いている平凡な中年男性、山之内テツロー(61才)。ひょんなことから一人暮らしを始めることになり、初めて料理をしてみたものの、どうやったってうまく作れそうだと思った「野菜スティック」が、なんとなくイマイチな仕上がりに。そんなテツローがたまたま訪れた居酒屋「のみ処きつね」は、なんと、23時になるとキツネの「大将」が運営する「おつまみ研究所」に早変わりするのだった────という物語。

大将とテツローさんの軽妙な掛け合いが面白いです。そして、大将が語るおつまみの極意は、科学的な根拠に裏打ちされていて、ふむふむと納得させられることばかりです。例えば、人間がおいしく感じる温度は、体温との差が25%前後のものなんですって。なので、体温を36度とすると、温かいものなら60~70度ぐらい、冷たいものなら5~11度ぐらい。つまり、野菜スティックは5度に冷やしておけ!ということ。ふむふむ、勉強になるなぁ。

 

個人的に嬉しかったのは、焼き野菜を推奨してくれていること。そうそう、焦げ目がつくと野菜は「飲める(=おつまみになる)」んだよなぁ~。焼いて焦げ目がついたブロッコリーは香ばしくてとっても美味しくて、とにかくビールによく合うんだなぁコレが!

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なんで焦げ目がつくと美味しくなるのかっていう理屈は考えたことがなかったんだけど、この本によると、この焦げ目は「メイラード反応」といい、素材の持っている糖が、焼くことによって反応し、香ばしさやコクを生み出すからなんですってさ。

で、この本にはブロッコリー以外にも色々な野菜を焼いてみようというアイディアがたくさん載っています。こないだ春キャベツを焼いたのも実に美味しかったなぁ。

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そこで、今夜はこの本のアイディアから、「冬の焼きかぶ」と「しいたけしょうゆバター」を作ってみることにしました。

小かぶは、葉を2㎝残して6等分に切り、水に5分つけておきます。下ごしらえはたったのこれだけ!皮は剥きませんし、葉の付け根のところに溜まった泥も取りません。水に5分つけておくだけで泥は取れやすくなると書いてあったのでそのとおりにしてみたんですが、確かに5分で泥はキレイに取れました(ボウルの底に砂が落ちてました)。

フライパンに油をひいて、かぶを並べ、蓋をしたら中弱火で加熱して、しばらく放っておきます。良い感じの焦げ目がついたらひっくり返して、またまたじっくり加熱。あまりちょこちょこいじっちゃうと焦げ目がつきにくい上に形が崩れやすいので、なるべくいじらずに放置しておきましょう。

両面にいい焼き色がついたら、全体に軽く塩を振り、粒マスタードを添えて、はい完成!うわぁ!簡単すぎる!こんなんで本当にいいの?……と思いつつ、粒マスタードをちょんとつけたかぶを口に入れると、美味しいんだなぁこれが!外側の皮はしっかりとした歯応えがあって、グッグッと噛みしめる感じ。すると内側はとろ~んと柔らかくとろけて、かぶそのものの甘みがしっかりと感じられます。そこにアクセントとなる粒マスタードの刺激!こりゃ旨い!皮と内側の食感の違いが楽しいね。また作ろうっと。

 

しいたけは、近所のスーパーで肉厚のいいものが安く売られていたので、思わず買ってきました。何をどうしたって美味しくなりそうな食材だけど、この本で最高の組み合わせとして紹介されていたのが「醤油×バター」の組み合わせ。めんつゆだとトゥーマッチになって合わないので、シンプルに醤油で食べたほうが個性が引き立つ、とのこと。

うん、まぁ、これはもう約束された安定の美味しさって感じやね。じっくりと焼き色をつけたしいたけが、バターと醤油の塩気とコクを吸い込んで、もはや旨みの玉手箱や~としか言いようのない一品です。うん、ビールが進むぞ!

 

そんでもって今夜の晩御飯は、この2品に、いつもの暗殺者のパスタ。もうレシピ見なくても簡単に作れちゃう。先に具材を炒めておいて別の皿に取っておき、スパゲティーをオリーブオイルで焦げ目がつくまで焼いたら、麺がひたるぐらいの水、トマトジュース、コンソメブイヨンを加えてぐつぐつ煮こんで、水気が少なくなってきたところで具材を戻して、最後に既製品のアラビアータのパスタソース(1人前)を加えてよく混ぜたら、火からおろして完成。いやもう簡単簡単。全部フライパンひとつで完結しちゃうのが主婦的には最高だわよ。洗い物が少なくて済むもん。

てなわけで、本日の夕飯はこんな感じになりました。余ったカブの葉は味噌汁の具にして、卵でかきたま汁にしました。カボチャコロッケは既製品。

もちろん、忘れちゃいけないのはビールです。この組み合わせなら王道のIPAかな~なんて考えながらペアリングしてみましたよ。ビール自体の感想はまた後日の記事にまとめることにしますが、ペアリングの感想としては、そりゃあもう、旨くないわけがない!焼いたかぶとしいたけが冷えたIPAにめちゃくちゃ合う!さすがはキツネの大将、大正解ですよ!

 

料理は「家事」だと考えてしまうとちょっと面倒くさいけど、好奇心ひとつで「娯楽」にもなり得るんですね。そんな楽しさを教えてくれる一冊でした。家事経験者も未経験者も、酒飲みもそうでなくても、とにかく手に取ってほしい楽しい本です。オススメ!