つれづれぶらぶら

あっ7月4日のベイスターズVSスワローズの試合、NHK-BSで「ゆるふか」やるんだ!わーい。ハマスタの裏側を観てみたーい。

続・石を祀る

前に「諏訪の人は何かと石を祀りたがる」という、こんな記事を書いたんですけどね。

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今日、諏訪市図書館に行ったついでに、そのすぐ近くにある「高島城」に立ち寄ってみたんですよ。諏訪湖畔にある高島城は「諏訪の浮城」とも呼ばれ、戦国時代は諏訪氏の居城にして、大河ドラマ風林火山』の悲劇のヒロイン・由布姫の実家としても知られていますね。

www.city.suwa.lg.jp

この高島城は藤の名所。天守閣を望む高島公園の中に藤の巨木がありまして、この5月上旬は藤の花見に来る客で賑わうのです。今日は既に若干盛りを過ぎて散り始めていましたが、それでも良い香りがしていました。

タケミナカタが諏訪に侵攻してきた際、既に諏訪を治めていた洩矢神に対して、藤の枝をもって戦ったという神話があります。その縁からか、この諏訪の地において藤はとりわけ愛されているように感じます。「藤森」姓の人も多いですしね。

しかしながら、今日、私が高島城を訪れた目的は藤を見るためだけじゃないんですよ。諏訪市図書館に本を返却しながら、不意に「そういえば、高島城には【亀石】があったっけ……」と思い出したので、その亀石を見るために立ち寄ったのですよ。

で、その【亀石】というのが、天守閣に上がる階段の近くにある、こちらの石です。

一見すると何の変哲もないただの巨石なんですが、これが最初に挙げた記事の中で若干触れている「諏訪七石」のひとつ(かつて諏訪大社において重要な祭祀儀礼が行われたとされる)ではないか、と言われている石なのです。一説によると、かつては茅野市の「千野川明神」に祀られていた石であったとされ、それが洪水によって流され、高島城の庭に置かれたものだというのです。さらにその後、いったん民間に売却され、近年になって高島城に返還されたという経緯をもっています。

その元々の所在地である千野川明神については、こちらの記事の中で訪れています。

sister-akiho.hatenablog.com

千野川明神は、諏訪大社上社前宮から宮川沿いにさらに東に進んだ先にありました。そこから流された石が諏訪湖畔に流れ着くとは、途方もない規模の洪水であったことが窺えます。そういえば、かつて茅野の安国寺にあった仁王像が下諏訪に流れ着いて、現在は岡谷市の照光寺にあるという話もお伝えしておりましたね。

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言うて、仏像ならまだしも、石ですよ。それほどの大洪水であれば、大小さまざまな石が八ヶ岳から諏訪湖に向かってごろんごろんと流れていったでありましょうし、そのひとつひとつにご丁寧に持ち主の名前が書いてあったわけでもないでしょうから、今こうして高島城にある亀石が、はたして諏訪七石の亀石と同じものであるかどうかなんて、誰にも分かりゃしないと思うんですよね。だけど、やっぱり諏訪の人たちは大きくて綺麗な石を見つけてしまうと、放っておくことができない性分なのでしょうね。ああ、こんなにツヤツヤして美しい亀のような姿の石だ、神様がお降りになる磐座に違いない、大切にお祀りしようそうしよう。その気持ちが今日までこうして受け継がれてきたこと自体に、私は諏訪の人々のまっすぐな純粋さを思うわけなんです。

 

ここから、ちょっとだけ季節が戻ります。

4月の半ばのこと。桜の写真を撮ろうと、茅野市の豊平地区のあたりをドライブしていた折に、そうだ、せっかくだから【尖石】に寄って行こうと思ったわけです。

【尖石】というのは、縄文時代中期の環状集落の遺跡であるとされる尖石遺跡の端っこ、桜の木の下にある階段をちょっと下ったところにある巨石の名前です。

これが、その【尖石】。

これもね、まったく石に関心のない人から見たら、ほーん、でかい石じゃん、で終わっちゃうんだろうと思うんですよ。わざわざ注連縄をかけて祠を立てて「とがりいしさま」と呼んで手を合わせる人々の心というのはね、合理的な説明のしようがない。でも諏訪の人は石を祀らずにはいられないんですね。黒曜石をせっせと磨いていた時代から、諏訪の人はそうやって生きてきたんだろうなぁ。

 

さて、石を祀る話とはちょっと離れてしまうんですが、昔の諏訪の人々の暮らしに関連して、もうひとつご紹介しておきたい場所があります。

茅野市の泉野地区にある【穴倉】という茅葺の建物です。市営温泉の「河原の湯」の裏手にあります。

パッと見た感じ、縄文時代の遺跡の復元住居かなと思ってしまう風情ですが、実際には古いものではなく、農閑期に農家の共同作業場として作られたものだそうです。ちなみに、令和の現在もばりばりの現役で、撮影したこの日も、これから地域の農家さんたちが集まって作業をするのでしょう、入口の前に肥料の袋や農業用具が積んでありました。

近くには水車小屋もあって、観光客向けの説明看板もあります。

ただ、この穴倉自体は比較的新しい時代に建てられたものですが、太古の時代からこういった形状の建物はあったらしく、諏訪大社のかつての姿を知る手掛かりになるものだそうです。そもそも、私がこの穴倉に興味を持ったのは、以前ご紹介した、諏訪大社上社前宮でかつて行われていたという「御室神事」、その神事が行われた「御室」とはいかなるものであったかと考察する、この公開講座からでした。


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この動画の38分ぐらいのところから「御室」の構造についての考察が語られているのですが、その中で参考として「穴倉」が出てきます(44分ぐらいから)。地面に穴を掘って半地下にした竪穴構造で、その上に萱を葺いて屋根としていますが、これが本来は土葺きの屋根だったのではないかという話をしています。

この公開講座は2021年の3月に開催されたものだったんですが、その2年半後、つまり昨年の11月に、この穴倉で「御室神事」を再現する映画の撮影が行われたそうです。どんな映画なんでしょうね。完成したらぜひ観に行きたいものです。

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