茅野市では、ただいま桜が満開です――って、昨日と同じ書き出しだな。
今日もとても天気が良く、お散歩日和だなぁ、なんて考えていたら、そうだ、そろそろあの「花」も咲く頃じゃないか、と思い出したのでした。
その「花」というのは、カタクリの花。春を告げる山野草で、地下の鱗茎からは良質のデンプンが取れ、「片栗粉」は元はこの植物から採取していたのだそう。そして、ほとんどの季節を地下で過ごし、地上に姿を見せるのは春の短い期間であることから、Wikipediaによると「春の妖精」(スプリング・エフェメラル)と呼ばれる植物の一つなんだって。何そのファンタジックな呼び名。
そのカタクリの花の群生地が、この茅野市の西茅野地区にあるというのです。一度見てみたいなと思いながら、正確な場所が分からなくて毎年スルーしていたのですが、近年、道路沿いに案内標識が設置されて、だいたいあのへんかなと分かるようになったんですね。
ただ、その群生地には車が入れないというので、近くまで旦那に車で送ってもらうことにしました。安国寺の川越し公園から宮川の西岸沿いの細い道を車で行くと、宮川が本流と支流に分かれる手前のあたりで舗装がなくなり、車両通行止めになります。ここで降ろしてもらって、川沿いに歩いていくと、すぐにその場所に辿り着きました。
日当たりの良い斜面の一角に、紫色の儚げな花がぽつりぽつりと咲いています。うつむいた楚々とした姿が、可憐な妖精のように見えます。
茅野市教育委員会が立てた案内板に、万葉集の一首が引用されています。大伴家持の歌です。
もののふの 八十おとめらが 汲みまがふ
寺井の上の 堅香子(かたかご)の花
この歌には思い出があります。学生時代に、縁あって、万葉集研究の第一人者である犬養孝先生の講義を受ける機会がありました。その講義の一番初めに紹介されたのが、この歌だったのです。
そして、最後の講義の日に、学務係の職員さんを通じて、用意してきた色紙にサインを頂くことをお願いしました。その色紙には、不器用な私が悪戦苦闘しながら貼った、カタクリの花のちぎり絵がありました。学務係の職員さんからは「先生は大変お忙しい方なんだよ、お手を煩わせるようなことをするなんて」とぷりぷり苦言を呈されましたが、それでも先生に頼んでみてあげる、と約束してくれました。
そして、講義の後で学務係に行くと、なんと、色紙には、先生直筆のサインと、そしてあの堅香子の歌が原文(万葉仮名)で書いてあったのです。うわぁ……!ものすごく嬉しくて、胸が震えました。有名な国語学者の先生が、わざわざ私のために筆をふるってくださったこと、そしてこの不器用なちぎり絵を見て「この生徒はあの堅香子の歌を気に入ったのだな」と気づいてくださり、特別に歌をしたためてくださったのだ、ということに。その色紙は私の宝物の一つとして、今も実家に飾ってあります。
さて、案内板のすぐ右手に、鳥居がありました。「千野川神社」とあります。
鳥居をくぐり、カタクリの花を眺めながら進んでいくと、小さな祠が一つありました。由来は記されていません。諏訪にはこういう祠が実にたくさんあります。
その祠を取り囲むように、カタクリの花が咲いています。
入口に戻り、宮川沿いをぶらぶらと安国寺方面に向かって歩いて行きます。満開の桜がとても綺麗です。
安国寺公民館の裏を通ったとき、そこにも何か祠があることに気づいたので立ち寄ってみました。すると、ちょうど昨日、富士見町の『カイコの女神たち、そして猫、ときどき蛇――信濃の国の養蚕信仰――』展で知った「蚕玉(こだま)さま」を祀る「蚕玉神社」が、此処にもあったではありませんか。
旦那に聞いたところによると、この安国寺地区には「こかい(小海/小飼)」さんという苗字のおうちが非常に多いそうです。この苗字の本来の意味は「蚕飼」なのではないでしょうか?
この隣には「津島宮」という祠が並んでいました。
このあたりに腸チフスなどの疫病が多く発生したことから、無病息災を祈って祀られたものであると案内板に書いてありました。
疫病……コロナも早く収束してくれますように……( ̄人 ̄)