つれづれぶらぶら

旅行記はちょっとずつ仕上げていきます。お楽しみに~。

文鳥をつれて花見にいこう

高校の入学式の日あたりまではまだ朝夕ひんやりしてたんですけど、先週ぐらいからだいぶ暖かくなってきまして、ようやく信州にも春がやってきました。

そうして日に日に桜の蕾も膨らんできまして、うちんちの周辺ではどうやらこの週末に満開になりそう、そしてよく晴れて絶好のお花見日和になりそう、っていうニュースを聞くと、そりゃもう、ねぇ、おうちの中に閉じこもってるの勿体ないじゃんって話じゃないっすか。

しかも、今週のお題「外でしたいこと」なんですってさ。

そりゃもう、満開の桜の下でやりたいことっつったら、最高に美味しいビールをくいっとあおりたい。ね。間違いないっすわ。そして、おあつらえ向きにだな、今、うちの冷蔵庫にはその「最高に美味しいビール」があるんだよ、ふっふっふ。

というわけで、バッグに缶ビール1つと保冷剤を突っ込んで、春の日差しを浴びながら、ぽったらぽったらと、ドン・キホーテ裏の宮川河川敷まで歩いていきました。

おおー。ちょうど満開になったばかりの最高のタイミングじゃないかー。

この宮川河川敷にはずらっと桜並木があって、市内のお花見の名所のひとつなので、たくさんの人たちがお花見に集まっていました。写真を撮ったりお弁当を食べたり、子どもを肩車して桜に触らせてあげていたり、老夫婦が地元の言葉で喋りながらゆっくり歩いていたり。

はぁ、綺麗。毎年同じように桜を見ているというのに、そのつど新鮮な気持ちで感動してしまうのはなんでだろ。花はどれだって綺麗なのに、桜が一面に咲き誇るこの短い時間の美しさは他に代えがたいものがあるよね。

っと、そうだったそうだった。この桜の美しさを愛でるための最高のビールを持ってきていたんだった。じゃん。

最近お気に入りの「Inkhorn brewing」さんの「BUNCHO」でございます。満開の桜の木の枝には美しい小鳥がよく似合う、ってことでね。

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プルタブをプシュッと引いて、缶からダイレクトにぐびぐび。華やかなホップの香りと酸味、そして鮮やかな苦み。土手の法面に腰かけて、radikoカープ中継を流しながら、風に揺れる桜の枝を飽きず眺めています。ぷっは~。苦くて旨~い。

最高やんかぁ。

 

桜を心ゆくまで堪能し、ほろ酔い気分で気持ち良いので、このままもうちょっとだけお散歩を続けたいのです。だとすると、すぐ近くにちょうど良い場所があるわよね。ドン・キホーテの駐車場の斜め向かいにある、お散歩にうってつけの場所といえば、そりゃもう、諏訪大社上社前宮に決まっているじゃありませんか。

sister-akiho.hatenablog.com

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しかも、ちょうど今、図書館で『現人神となる神事』という本を借りてきて読んでいるところなのですよ。「現人神」の存在様式を神話と祭祀の文脈において論じようとするこの本は、「天皇」と「出雲国造(こくそう)」と「諏訪大社上社大祝(おおほうり)」の、それぞれの神話・祭祀における共通点と相違点を丹念に浮かび上がらせていて、けっこう難しいけれども興味深く読んでいます。

honto.jp

で、この本の中で、諏訪大社の上社において新たな大祝がその地位に就く「職位式」が行われる場所というのが、この前宮の中にある「鶏冠社」という場所だというのですね。えーっと、私、何回も前宮に来ているけど、鶏冠社にお参りした記憶がないんですよね。そんな重要な場所ならば、かりそめにも諏訪信仰に興味がありますと公言している以上は、ちゃんと見ておかなければならないじゃあないかッ。よし行こう今こそ行こう(ほろ酔い)。

川土手から前宮までは、千鳥足でも2分とかかりません。おや、今日はけっこう参拝者の方々が多くいらっしゃるようで。観光客の方々は、本宮はお参りしても前宮はスルーすることが多いので、こちらに観光バスが停まっているのはちょいと珍しい。

そんな観光客の皆さんが、まっすぐに本殿に向かって坂道を上がっていく、あるいは御朱印を貰うために社務所に並んでいらっしゃるのを横目で見ながら、しかしながら私は違う方向に向かって歩き出します。新しく整備された「前宮水眼広場」の入口、「御室社」の手前の細道を、右に曲がって進みます。お地蔵さんの前を通り過ぎてしばらくすると、こじんまりとした「鶏冠社」が見えてきます。前宮水眼広場の中を通り抜けてくることもできるのですが、ほとんど誰も来ませんね。地元民ですら、うっかりすると見落としてしまいそうなほどです。

どうやら、この祠などは新たに設えたもののようで、ここにある石などもかつての神事に使われたものとは違うのだそうですが、何はともあれ、中世の時代には、この場所で大祝となるべき童子に、神から受け継いだ「御衣」を着せることによって、童子の身体を神の身体とする(=現人神となる)秘儀を行っていたのだそうですよ。どんな様子だったんでしょうねぇ……。


遠い過去に思いを馳せながら、ぶらぶらと前宮の境内を歩き回ってみます。観光客の皆さんの邪魔をしないように裏道を歩いて、途中の木の切り株に腰をおろして酔いをさまします。春の水路の流れは豊かで、ざぶんざぶん、どぼんどぼん、という低い水の音がずーっと聞こえてきます。空には飛行機雲がかかり、小鳥が飛び交っています。足元には福寿草が咲いています。

阿弥陀堂の前にはそれはそれは立派な枝垂桜がありました。

前宮の真ん前にある保育園の園庭には鯉のぼりがはためいていました。

そういえば、うちの息子が未満児で保育園に通っていた頃、園庭の鯉のぼりを指差して嬉しそうに「ぼいぼい」と呼んでいたっけなぁ。あの舌足らずな「ぼいぼい」があまりにも可愛くて、今でも耳の中にあの声が残っているというのに、当の息子はもう高校生。時の経つのは早いもんだなぁ。