つれづれぶらぶら

なんかいきなりアクセス数が多いなと思ったら、黄金頭さんがブクマしてくださったらしい。うひゃあ。畏れ多くて震えちゃうわ。

『西洋骨董洋菓子店』を読み返してみた。

よしながふみさんの漫画が好きなんだ、というのは前にもお話ししたんですけどね。 

sister-akiho.hatenablog.com

 で、通勤電車内で読もうと思って、久しぶりに本棚の奥から『西洋骨董洋菓子店』を引っ張り出してきたんですよ。私がよしなが作品に出会った最初の作品ですね。 もう20年前の作品になるのかぁ……。

西洋骨董洋菓子店 1

西洋骨董洋菓子店 1

 

 フジテレビのいわゆる「月9枠」でドラマ化もされましたね(ドラマのタイトルは『アンティーク~西洋骨董洋菓子店~』)。設定はだいぶ変えられていましたが(特に小野について)、ドラマはドラマとしてすごく好きでした。

何しろキャスティングが抜群に良かったんだもん!橘が椎名桔平、小野が藤木直人、千影が阿部寛、エイジが滝沢秀明っていう、めちゃくちゃ豪華、かつ、イメージぴったりで!『きのう何食べた?』や『大奥』もですが、よしなが作品のドラマ化はキャストに恵まれていますよね。

あとドラマ版の最終回の人を食ったような演出がさ――って、ドラマについて語り出すとまた終わんなくなるので、原作に話を戻しますよ。

 

で、久しぶりに読んでみて、今まで気づかなかったことにいくつか気づいて興奮してるんで、聞いてくれ。こまかい話になるけど、お願いだから、聞いて。

何に気がついたかっていうと、

ものすごく細かい部分にまで気配りがされている

ってことなんですよ。

例を挙げます。今日読んでたのがウィングスコミックの4巻(最終巻)なので、そこから例示します。持ってる人は手元に用意して。持ってない人は今すぐ買ってきて(オイ)

まずは最終回の3話前となる「レシピ17」の回のラスト1ページ。

全面黒くベタ塗りされた上に、「俺はこの日を待っていたんじゃないのか?」という橘の心の声が書かれているだけのページなんですけど、そのテキストが2回繰り返して並んでいるんですね。

ただ、そのテキストを区切っている位置が違う。(以下、「/」はテキストの区切り位置)

 

「俺はこの日を/待っていたんじゃないのか?」

「俺は/この日を/待っていたんじゃ/ないのか?」

 

最初の1回目の区切り位置は分かりやすいですね。誰が区切ってもだいたいこの位置で区切るよねって感じの区切り方。

なので、2回目の区切り方が問題になります。なんでこんなに細かく区切るのか、特に最後の「/ないのか」はどうしてここで区切るんだという感じ。

そもそも、どうして同じせりふが2回も繰り返して並んでいるのかという問題。

この直前、橘は自分を訪ねてきた宇田川刑事に、最近起きている連続誘拐事件を解くカギが自分の店で出しているケーキである可能性を示唆されます。そして橘自身も少年時代に誘拐された過去を持っており、それが今回の事件に類似しています。

このシーンで宇田川刑事からもたらされた示唆が、橘の心を大きく揺るがしている。その瞬間、反射的に橘の脳内に閃いたのが最初の「俺はこの日を/待っていたんじゃないのか?」という言葉。稲妻のように瞬間的に閃いたので、区切りが少ないスピード感のある表記になっている。

その閃きが橘の脳内で咀嚼され、もう一度、しっかりと、噛みしめるように、自分の心に問いかけるのが「俺は/この日を/待っていたんじゃ/ないのか?」 。私はそういうふうに読解しました。

ここで、もしかして、他の台詞にももしかしたら何か意図が込められているのではないか?と思ったら、ありましたありました。

その示唆となる宇田川刑事の台詞も。

 

「犯人は/少なくとも二度は/この店に現れてる/そして今/三人目の子供が/いなくなっています/事は一刻を争うんだ!/我々はその子にだけでも/あなたのように/生還してもらわにゃ/ならんの/です!」

 

 

ラストの「/ならんの/です!」がとりわけ意図的ですね。ちなみにこの台詞のふきだしの形は充分に大きく「ならんの」の後ろにもたっぷりのスペースがあります。だがしかしわざわざ区切って「/です!」としているのは、宇田川刑事がこの語尾をとりわけ強く言っている――切迫感を持って橘に協力を訴えかけている――ということを表現するためであることは間違いありません。また、「事は一刻を争うんだ!」には区切りがなく一息で言っているのも切迫した雰囲気を強調していますね。

ちなみに、その4ページ前の橘の台詞にも同様の仕掛けがしてありました。ケーキを買いに来た客に新作のケーキをオススメする絶妙なセールストーク

 

「どれ一つとして/お客様に/買っていただいて/後悔させる商品は/ございま/せん!」

 

これは音読するとよく分かる。「ございま・せん!」と語尾に溜めを作って喋るやり方、テレビショッピングなんかでもよく聞くアレですね。

あと、最終回の回想シーンでの、橘少年の混乱した状態での台詞の区切り位置がすごく乱れているのも味わい深いので、持ってる人は読んで。持ってない人は買って(シツコイ)

 

それから、よしなが作品でよく見られるのが、時系列が激しく入れ替わるシーン。

現在進行形のストーリーの中に、回想シーンが頻繁に割り込んでくるのは、例えば3巻の「レシピ12前・後」や「レシピ13」、そして4巻の「レシピ18」、最終回となる「レシピ19」など。

このうち、「レシピ13」は現在進行形のストーリーのほうにあまり重きを置いていない、回想メインの回。

また、「レシピ12前・後」や「レシピ19」では回想しているコマの枠外を黒く塗りつぶしたり、コマ全体にスクリーントーンで網掛けをしてあったりして、はっきりと現在と過去が区別されています。

で、「レシピ18」が、この漫画の最もクライマックスとなる重要な回なんですが、この回の演出がもう、スゴイんだわもう(←語彙力)

まず序盤、宇田川刑事が過去の橘自身の誘拐事件について、当時の上司であった芥川に謝罪しているシーン。若き日の宇田川が芥川の指示に従わず、結果として初動捜査の遅れを招いてしまった――と詫びている間、橘の視線は宇田川に向けられず、どこか遠くを見ているのが描かれます。

そして唐突に挿入される橘の回想は、過去の誘拐に関する記憶ではなく、なぜか、まるで関係がないように見える「高校卒業の日、小野からの告白に対してひどい言葉で拒絶してしまった」という記憶。しかも泣きながら立ち去っていく小野を黙って見送るというシーンが3ページほどにわたって長く描かれます。

なんでここでこの回想が?と疑問に思うわけなんですが、その理由は、その直後の橘の「自分の引き起こした結果の全てに責任を取れる人間なんてどこにいるんだろう?」という台詞で分かります。小野は橘にこっぴどく振られたことでその後の人生が大きく変動してしまったのですから(結果的に良い方向に進んでいるとしても)、橘には小野の人生に対して責任があり、そのことに負い目を持っているわけです。

 ――と、この序盤の部分を読んだ段階では、そう理解できるのです。

ところが、この「小野に対して必要以上にひどい言葉をぶつけてしまった」という橘の過去の行動の理由についても、実は別の原因があった――そしてその根源が過去の誘拐された時の失われた記憶の中にあるらしい――ということが、この回の中盤ぐらいから少しずつ見えてきます。

(レシピ13でも「小野が告白してきたのが、橘が当時付き合っていた彼女に振られた直後という最悪なタイミングであり、その時、橘が非常に不機嫌であったため」という理由が一応は語られていますが、それだけが原因でなかったことがこの回で明らかになるわけです。)

そんなわけで、この回では、①現在、②高校卒業日、③高校在学中、④誘拐から救出された時、⑤誘拐中、⑥千影と住んでいた頃の時系列が、頻繁に入れ替わり、過去のシーンでは台詞のフォントを違えていること以外は現在のシーンと表現上の違いはありません。

それでも混乱させずに読めちゃうあたりがよしなが先生のすごいとこなんですが、ともあれ、ストーリー自体のハードさに併せて、こういう「読者に緊張感を持って読ませる」仕掛けの効果もあって、非常にサスペンスフルな回になっています。

余談ですが、この回でケーキを買いに来るスカーフを巻いた「ママ」は、実はその前にもこの漫画に登場しています(レシピ16で。あとレシピ15の傘を差したご婦人もそれっぽい)。こういう発見も読み返すと非常に面白いです。

 

よしなが作品に対する批判として時々見られるのが「アップやバストショットが多く、背景の描き込みが少ない」というものなんですが、これは全く見当外れだと思うんです。

いやもちろん、大友克洋の『AKIRA』とか、森薫の『乙嫁語り』とか、ああいう精緻で濃密な背景や、全身を使ったアクションも好きですよ。でも、それはそれ、これはこれ。そもそもの作家の持ち味、演出手法が違うんだから、比べるのがそもそも的外れじゃないですか。

まぁ、「まんがの描き方」みたいな本には、「アップやバストショットだけでなく、全身や異なるアングルからの描写も入れて多彩な画面作りに努めましょう」みたいなことが書いてあった、そういえばね。でもそれは山頭火に向かって「五七五を守りましょう」と言うようなもので、初心者向けのアドバイスがどこまで通用するかという話なわけです。実際、自由律俳句ってめちゃくちゃ難しいと思うぞぉ(脱線)。

よしなが先生の「アップの連続」はすごく趣があっていいですよねぇ。同じようなコマがいくつも続く中で、目がほんの少しだけ動いたり、髪がわずかに風でなびいたりする。そのゆったりとした時間の中で、読者は静かに登場人物の思いに心を添わせることができる。最終回のラストシーンの余韻ったらたまんないぞぉ。持ってない人は今すぐ(以下略)。

そういえば、前のブログの中で書いた、向田邦子からの影響について言及していたインタビュー記事を思い出しましたので、リンク貼っときますね。糸井重里さんとの対談でした。カメラアングルが動かない理由とか、目線での演技とかについても併せて語っていらっしゃいます。この記事を紹介して、この長々としたブログを締めたいと思います。ここまで読んでくれてどうもありがとう。では。

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