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古川日出男訳『平家物語』と茅野城跡

古川日出男訳『平家物語』を、1週間かけて、ようやく読みきった。

ことの始まりと言えば、こうだ。

5月末に公開される劇場版アニメーション『犬王』は絶対に観る、だって湯浅政明監督なんだもん、と今から期待に胸を膨らませていて、予習として読んでおこう、と図書館で原作の『平家物語 犬王の巻』を借りてきて読んだのが先月のことだった。

室町時代に実在した能楽師「犬王」を題材にしたこの小説は、全編が「琵琶法師の語り」の形式で書かれているという意欲的な作品で、その特殊な文体に最初は戸惑ったものの、いったんリズムに乗るとぐいぐいとその語りに引っ張られるかのごとくに、一気に読んだ。

幻想小説なのである。音楽があり、怨念があり、醜悪なるものと清浄なるものがある。弾けるようなリズムがあり、華麗なるステップがある。これはまさに、湯浅監督に映像化されることを待っていたかのような小説ではないか。ますます期待が高まる。


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で、その勢いで、テレビアニメ『平家物語』も全話視聴したことだし、同じ古川日出男さんの訳本ならさぞや面白かろうと思って、諏訪地域公共図書館情報ネットワーク「すわズラ~」を活用して、原作本を取り寄せてみたのだった。


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ところが、取り寄せたその本を借りた瞬間、しまった、と思ったのだった。

予想以上に、分厚い。

全908ページ。ちょっとした鈍器の様相。本文は犬王の巻と同じく琵琶法師の語り口調で、言い回しも今風にくだけていて読みやすいが、それにしても厚い。ごつい。あとフォントも小さい。老眼にはキツい。

事前にちゃんと調べておけばよかったのだが、『平家物語』は本編である十二の巻とエピローグである灌頂の巻、併せて十三の巻から成り、軍記ものだと思いきや、戦いが描かれるのは四の巻以降。政治の話と人間関係の話が多い。

しかも、一つの出来事を描く中にたくさんのエピソードが挿入されるのだ。誰それが誰それに合戦を挑もうとしている、ところで、この誰それというのは誰それの子孫であるが、ところで、その先祖の誰それにはこれこれの逸話があり、その愛馬は何々というのだが、ところで、その何々は後に誰それの手に渡ってェ、……といった具合に、一つのエピソードがとにかく長い。途中ぐらいで「あれ、これ何の話だったっけ???」となってしまう。

そして、お恥ずかしい話だが、私は学生時代から歴史が苦手なのだった。年表を覚えられないというのもあるが、何しろ人の名前を覚えるのがめっぽう苦手なのである。兄と姉は『三国志』が大好きで、末妹の私に「面白いから読め読め」と勧めてくるのだが、国の名前と武将の名前がごちゃごちゃに混ざってしまってリタイアしてしまったという過去を持つ。孔明ぐらいしか分かんない。ごめんね。

それでも、日本の武将だったらまだ大丈夫だろう、国の名前もだいたい分かるし、と自分の集中力に鞭を打って、とにかく1週間、通勤時間や昼休み、寝る前の時間を費やして、ひたすら読みふけったのだった。先にアニメを観ておいてよかったとつくづく思う。建礼門院ってのは徳子のことだったな、宗盛はあの出っ歯のおじさんだ、うんうん大丈夫大丈夫。清経の名前を見るとあのふくふくした頬っぺたが思い出されて、哀しくなるのだが。

解説によると、『平家物語』はおそらくたくさんの人によって書かれたものだろうということで、同一人物についての評価がところどころで異なる。あるエピソードでは上品で風流な人物であると表現された人が、別のエピソードでは頼りなくて意気地なし、と描かれたりする。ただ、小松殿こと平重盛に関しては、理知的で温厚で豪胆で有能で、と繰り返し褒めたたえられるのだ。ああ、重盛が長生きしていたなら源氏と平氏の運命はどうなっていたことだろうなぁ。

さて、中盤の物語のひとつの柱となるのが、木曾義仲である。長野県が誇る有名武将であり、木曽町には「義仲館」という資料館もあるそうだが、ごめん、私ってば本当に歴史に疎くて、巴御前のパートナーってぐらいのイメージしかなくて、うう、お恥ずかしい。今放映中の大河ドラマでも大活躍してるらしいっていうのに、ごめん、その時間帯は「イッテQ」観てるからさぁ……。

それにしても『平家物語』における木曾義仲の人物像は、かなりけちょんけちょん状態である。田舎者で教養も品もなく、がさつでせっかちな脳筋野郎、という表現のされかたをしている。平家を都から追い出したまではいいが、その後で都で乱暴狼藉を働きまくり、ああこれならば清盛公のほうがはるかにマシであった、と人々に噂されるほどの悪役ぶりである。しかしながらその勇敢さ、ともに戦う仲間に向ける義侠心や善しとされ、敗軍の将となってからは同情的な筆致で描かれていたりもする。

さて、その木曽義仲の腹心の部下(いわゆる義仲四天王)の中に樋口次郎兼光という武将がいるが、その樋口の軍勢に、茅野太郎光広(ちののたろうみつひろ)という武将がいた。『平家物語』においては、義仲が既に死んだことを聞いて、弔い合戦に参集する武将の中に、この茅野太郎が登場する。そして、義仲軍を討った甲斐の国一条の次郎忠頼の手の者はおらぬかと大音声をあげたところ、周囲からなぜ選り好みをするのかと笑われ、答えて、曰く。

「こう申しているのは信濃の国諏訪の上の宮の住人、茅野大夫光家の子、茅野太郎光広だ。必ずしも一条の次郎殿の手勢であられる方を、ぜひとも相手に、と訴えているのではない。我が弟、茅野七郎がその次郎殿の軍勢に属するのだ。わかるか!この光広は二人の子供を信濃の国に残してきた。子供らは、問うであろうよ、嘆くであろうよ。ああ、父は立派に死んだのであろうか、と。あるいは見苦しい死に方であったのだろうか、と。だから弟の七郎の前で討ち死にして、子供らに確かなところを聞かせたい!我が最期の!これは敵の選り好みでは、ないぞ」

名乗った茅野は、駆けた。あちらに駆けては渡りあい、こちらに駆けては渡りあい、敵三騎を斬って落とし、四人目となる相手に馬を並べ、組みあい、地面にどっと落ち、刺し違え、死んだ。

(九の巻「樋口被斬」p555-556)

もはや自らの死は前提として、それはそれとして、子らに父の武勲を伝えたい、という悲壮なエピソードである。その最期は、こうして800年以上も後の世においても世界中に伝えられるところとなったのだから、願いは果たされたと言うべきか、さて。

ところで、調べてみると、現在の茅野市宮川の西茅野に、茅野(千野)氏の居城があったらしい。ほほう。これも何かの縁だ、ちょっと城跡を見に行ってみるか。ずっと1週間ひたすら本を読み続けていたから、気分転換したいしね。

西茅野は、茅野の市街地から国道20号線を通り、茅野交差点から坂室トンネルへ上っていくときに右手側に見える一帯のエリアだ。近年、坂室トンネルの開通に併せて利便性が増し、新興住宅地として開発が進んでいるようだ。

西茅野中央公園に車を停めて、すぐ目の前にある小高い丘に向かって歩いてみる。山の名は御岳山、標高は840メートルだが、西茅野の集落との比高はわずか40メートルほどである。

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民家の間にある細い坂道を上っていくと、途中で小さな石塔を見つけた。その隣にかなり古い看板があり、由緒が書いてあるようなのだが、字が薄くなっていてほとんど読めない。

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歩いて10分もかからぬうちに「御嶽神社」の入口に到着した。この御嶽神社こそが、かつての「茅野城(駒形城)」の跡であるという。

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しかしながら、この正面の石段は古びていて危険なので、川沿いにぐるっと裏手へ回るようにという表示板が立てられている。折から、昨日までの雨で崖の下からは大量の水が溢れ出している。ここはおとなしく裏手へ回ることにしよう。

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石碑がたくさん立てられているのを眺めつつ行くと、比較的新しく整備されたと思しき階段があった。けっこうな急坂だが、息を吐きつつ上る。

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御嶽神社に到着。樹々の間にわずかに開けた円形の広場があり、そこに祠がいくつか並んでいる。それぞれにちゃんと御柱が建てられているのは、さすが諏訪と言うべきだろうか。

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石碑もたくさんある。歴史に詳しければそれぞれの碑文から色々なことが読み取れたのかもしれないが、ごめん、歴史オンチなのでよく分からない。

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この円形の広場を、尾根伝いにさらに奥へ進んでいく。すると、小さいながらも平坦な広場があり、ここに城があったのかなぁ、だとしたら相当小さい山城であったろうなぁ、と思う。尾根伝いの道はさらに奥へ続いていたが、次第に樹々が多くなってきたのでこのへんで切り上げて戻る。

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もう少し詳しく知りたかったので、図書館へ寄ったついでに『茅野市史』の中巻をめくってみた。すると、茅野城(駒形城)に関する記述があった。

後三年の役後、大祝為信が茅野城・御天城の砦・牛首砦を築き、茅野治郎敦貞に守らせたといわれる。また久寿年間(1154~)茅野太郎光親が在城したとも伝えられる。

(『茅野市史 中巻』P178)

それに添えられた茅野城要図によると、御嶽神社の円形の広場が主郭であり、そこから尾根伝いに「く」の字状の平坦部が続き、「いちおう城地と見てよさそうに思うが、全体にはっきりした遺構は少なく、単純な形のもので、極く初期の砦と見てよさそうである。」との記述がある。なので、どうやら私が歩いた部分が、やっぱり茅野城跡であったようだ。

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平家物語』の完訳本を1週間で読破するのは、歴史オンチの私にとっては、なかなかに大変だったが、さまざまな人間の思惑が絡み合う群像劇は面白かったし、ついでにと言っていいものか、地元の歴史にもまたひとつ詳しくなったし、良い勉強になったと思う。

 

それにしても、後白河法皇の陰謀策士ぶりには善も悪も超越したところの魅力があるわなぁ。アニメでは千葉繁さんが演じておられたが、時におどけてみせ、時に冷酷で、時にもののあわれを感じ入る複雑な人間性がよく出ていた。

あと、アニメでは軍神のごとき美少年として描かれていた源義経が、なかなかのサイコパスであることを知って少々おののいた。割とすぐキレるし、無茶を平気で言うし、他人の意見は聞かないし、大将なのに先陣を切りたがる困った人。なるほど、平野耕太先生の『ドリフターズ』で義経がああいう性格なのは、元々がそういう人なのね。そら那須与一もおののきますわなぁ。くわばらくわばら。