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失われた「精進屋」を探しに行く

諏訪大社の上社前宮を巡る話、続き。

sister-akiho.hatenablog.com

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もう20年も前のことになるけれども、旦那と私が遠距離交際をしていた頃、旦那から「茅野に遊びにおいで」と誘われて遠路はるばる6時間以上もかけて、広島から茅野まで訪ねてきたことが何度かある。その、何度目かのデートの途中で、旦那が「俺、今から塩尻に行かなきゃいけないんだけど」と言い出したのだ。塩尻といえば運転免許センターがあるから、多分、免許の更新だったろう。

は?ふざけんなし!

……と、普通の彼女だったら怒ったところだろう。免許の更新ぐらい、彼女を招待する前に済ませとけ。こちとら遠路はるばる来てんねんぞ、最大限もてなさんかい。と怒るだろう、普通の彼女なら。

ところが、その言葉を聞いた私はこう思ったのだった。

ラッキー!茅野市図書館に行けるじゃん!

茅野市図書館に連れていってもらって、塩尻に向かう旦那の車に手を振ってから、私は図書館の2階にある「郷土資料コーナー」に上がり、そこで目当ての資料を探し当て、窓際の椅子に腰を下ろして、没頭するように読んだ。

なぜ私がそんなに茅野市図書館に行きたかったのかというと、そこに「今井野菊さんというミシャグジ研究家の方が書いた極めて重要な資料がある」という情報を事前に掴んでいたからなのだった。 

その資料は、昭和40年代ごろに「旧宮川村誌編纂研究会」という郷土研究グループが作成した非売品の論文集であった。

先日、久しぶりにその資料を読みたくなって茅野市図書館に行った。私があの時に読んで衝撃を受けたミシャグジに関する論文自体はもう残っていなかったが、旧宮川村誌編纂研究会が出版した他の論文はいくつか残っていた。

その奥付を見ると、「責任者 今井すみ江」という名前があって、名前の横に「(野菊)」と添えてある。私はてっきり今井野菊さんはどこかの大学の教授か考古学研究の専門家だろう、と思っていたのだが、なんと、茅野駅前で寒天屋を営んでいた女将さんであったのだ(寒天は茅野市の特産品)。

 

さて、今井野菊さんが行った調査のうち、最も大きな成果は、全国に分布するミシャグジを祀る神社の場所や、その地でミシャグジがどう呼ばれているのかを一覧表にまとめた『御社宮司の踏査集成』である。これは、『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』という本の中に収められているので、誰でも読むことができる(この本の旧版はかつて読んだ記憶があるけど、最近復刻されていたんだなぁ)。

この本の巻末に、「御左口神祭政の森」という今井野菊さんへのロングインタビューが収められている。なぜ寒天屋の女将さんがミシャグジを研究することになったのか、寂れゆく前宮への想い……。

個人的に興味深いのが、今井野菊さんがどのようにして全国各地の人々から情報を集めて回ったのかという苦労話の部分で、寒天屋を営む商売人ならでは、女将さんならではの知恵と工夫が窺える。

まずは出入りの業者に、あなたのところにはミシャグジはいないか、と尋ねてみる。すると、ある、と言う。あるいは、ミシャグジは知らないがシャゴッツァンなら知っている、と言う。そういう事柄を書き溜めていく。

それから、全国を歩く。その際に探すのは「婿取りのおばあさま」だという。男の人はこういう事柄に関心を持っていないことが多い。おばあさんでも他所から来た人はダメ。その地に長くいて、古い言い伝えなどをちゃんと覚えているおばあさんが一番良い――こういう知恵は、なるほど、老舗の商家の女将さんならではだと感心する。

実際、旧家のおばあさんは、姑から嫁へ、嫁から娘へと、代々きちんとその地域のしきたりを教えていく使命を持っている。私自身も、茅野に嫁いできてから、御柱祭やお葬式などのしきたりを親戚のおばあさま方に教えてもらったものだ。

なお、今井野菊さんが営んでいた寒天屋(地紙世商店)は、現在も茅野市内で営業している。以前は茅野駅前にあったそうだが、駅前の再開発によって、現在は警察署の近くに移転しているそうな。

 

 

ところで、『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』を読んでいたら、驚くべき記述に出会った。なんと、前宮の「精進屋」――現在の本殿が建っている場所に昔あったという建物が、今も残っているというのだ。

それはどこかというと、前宮から12キロほど北東に進んだ茅野市北山の「糸萱(いとかや)」にあるという。糸萱といえばカボチャの名産地で、私が最初にバターナッツかぼちゃを購入したのも糸萱にある農場だった。

本によると、前宮の本殿が伊勢の御用材によって建てられることになった際に、糸萱の集落の人々が、解体された精進屋を買い取り、自分たちの集落の氏神さまのお社として再利用することにしたのだという。

これは、ぜひ見てみたい。

車を北山方面に走らせる。そして、糸萱の集落の入口に、その神社は、あった。

折橋子之社」という、小さな神社だ。 

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これが、昔の前宮の精進屋を移築したという建物である。とはいえ、現在は屋根も板葺きもほぼ改修されており、かつて前宮の神事の前に使われていた精進屋そのものではない。

本に載っていた昔の精進屋の写真は、屋根の一部などが荒れていて、写真が粗いせいかどこかおどろおどろしく、秘密めいた雰囲気があった。しかし、今こうして折橋子之社として静謐な森の中に建つその姿を見ると、何とも言えず清々しい気持ちになる。

お社の中は綺麗に掃除され、苔むした境内のさまも素朴で美しく、糸萱の人々がこの氏神様をとても大切にしていることが伝わる。

そのとき、何かひとつ、分からなかったことが分かったような気がしたのだ。

諏訪明神とは、洩矢神とは、ミシャグジとは。神とは、宗教とは、信仰心とは何か。日本人はいったい何を信じて生きている民族なのか。そんなことを、ぐるぐると頭の中で考え込んでいた。でも本を読んでも、すっきりと腑に落ちる感覚はなかった。

それが、この折橋子之社の静かな佇まいの中で、「ああ、氏神様を祀るというのは、こういうことなのか」と思ったのだ。ずっと昔から、先祖代々引き継がれてきたことを、子孫が淡々と引き継いでいく。集落の人々が大事に守り続けていくもの。それこそが信仰なのだ。難しい理屈ではない。そして、何かを得るために信じるのでもないのだ。

このあたりの感覚は、またこの先の勉強の中で整頓していきたいと思う。

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折橋子之社の裏の小川は、すっかり凍り付いていた。これが茅野の冬の姿なのだ。

 

※当初の記載内容に記憶違いがあったため、記事の一部を削除・修正しました(2/7)