つれづれぶらぶら

5月の反射炉ビヤ行きますよー!酔い蛍グループの皆さんにまた会えるかな?

片渕監督に質問してみた

長野県は全国第4位の面積を持ち、しかも山々で地域が分断されている県。私が住んでいる茅野市山梨県境にほど近く、県庁所在地の長野市新潟県に近い。

そんでもって鉄道の乗り継ぎも微妙に不便なので、ふだん、私は(仕事でもない限り)長野市に行こうとは思わない。

にもかかわらず、今日は長野市に一人で出掛けてきた。長野相生座・ロキシーで上映中の映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を観るために。

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ああ、待て待て待て、それお前もう過去に2回も観てるやん、というツッコミの声が聞こえてきますな。 

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ええ、観てますが何か。しかも9月に発売されるBlu-rayもとっくに予約済みですが何か。さらに言えば前作の『この世界の片隅に』にいたってはもはや何度鑑賞したかすら勘定していないのですが何か。こないだのNHKの放映も観ましたが何か。

このセカクラスタなら知っている、この映画は何度観ても新鮮な発見があり、何度でも何度でも味わい尽くしたい作品であるということを。てか本当に全人類が観ればいいのにと真剣に思うのだ。観なさい。

ま、それはさておき、わざわざ今日を選んで出掛けたのには理由がある。上映後に「片渕監督オンライン舞台挨拶」が開催されるというのだ。そりゃ行かなきゃでしょう。納得でしょう。

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片渕監督といえば、『マイマイ新子と千年の魔法』の頃から全国各地の映画館に頻繁に足を運び、舞台挨拶やサイン会という形でファンと交流をなさることで有名で、私も過去に池袋文芸坐のイベントでお話を聴いたこともあるのだが、何しろ片渕監督の知識量といったらハンパじゃなく、熱心なファンの方々の噂によると「どれだけたくさんの舞台挨拶をされても、毎回、話の内容が違う」ということらしい(;゚Д゚)

まぁ、前置きはそのへんにしておこう。ともあれ私が片道3時間かかって長野市まで足を運んだその動機についてはご理解いただけたと思うので、本題に移ろう。

 

新型コロナウイルス感染症対策ということで、客数を減らして、座席はひとつ飛ばしにして、マスク着用で、3回目の『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を鑑賞。映画館も大変な時期だと思うけれど、こうやって懸命に映画文化を繋いでいってくれているのがありがたい。やっぱり映画は映画館で観たいのだもの。

映画の感想は………語り始めたらキリがないので今日は省略。ああ、オープニングの「雲」の映像はやっぱり良いなと改めて思った。音楽を聴きながらのんびりと空を眺めているうちに、観客はリラックスして映画の中に入っていくことができるのだなぁ。あと、やっぱりラストの「右手のバイバイ」には何度でも胸がキュッとなるのだった。

 

映画が終わって館内に照明がつくと、劇場支配人さんやスタッフさんが入ってこられ、「5分休憩後に舞台挨拶を始めます」と言われる。が、スタッフさんがセッティングしているノートパソコンの画面には既に片渕監督の姿が映っている(笑)

パソコンの映像をスクリーンに映し出している間にも、監督と支配人のお喋りは始まっていて、近くの席の人がもう数十回もこの映画を観た(茨城県土浦市にずーーーーっと上映している映画館があるのだ)と話すと、スクリーンから「ありがとうございます」と返事が聞こえてきたりして。

そして、オンライン舞台挨拶いよいよ開始。こうした取り組みは長野相生座にとっても初めての試みであり、片渕監督にとってもコロナ禍以降、あちこち出歩けなくなったため、例年であれば「8月」には広島や長崎など色々な戦争追悼関連行事に頻繁に呼ばれて話をしていたのが、今年はそれが出来ず、今年の8月の舞台挨拶はこの長野相生座だけです、とのこと。

しかし、オンライン舞台挨拶ならではの面白い事柄もあったのだ。監督はご自宅からリモートで参加なさっている、ということで……

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本日の特別ゲスト、愛犬の「トントンちゃん」でーす!(*^▽^*)

トンちゃんは監督のTwitterにはよく登場していて、Twitterアイコンや事務所のマークにもトンちゃんの顔が描かれている。そんな、ファンの間では有名なトンちゃんの登場に会場が沸くひととき。

そして監督は、「『この世界の片隅に』の制作に当たっては、長野に大変お世話になった」と仰るのであった。はて、あれは広島の話であるし、長野はどこにも関わっていないような気がするのだが。

そこで、監督は1冊の本を見せてくれた。『銃後の街 戦時下の長野1937-1945』という写真集である。戦争開始から終戦後までの長野市内の様子を定点観測のように克明に記録したもの。戦争前は善光寺土産を並べる店屋が軒を連ねる中央通りの賑やかな街並みが、終戦後は一切の看板がなくなっていることが分かる。

「もうひとつ注目してください。全ての建物の窓からガラスがなくなっていることが分かりますか?」

監督の指摘の声に、もう一度その写真に目をこらす。そういえば。でも何故?

「先ほどの映画の最後のほうで、原子爆弾の被害を受けた母子が出てきましたね。そのお母さんの身体にガラスの破片がたくさん突き刺さっていたでしょう。広島や長崎の原爆によって、すぐに亡くなった方々というのは、爆弾の熱線にやられたり、あのようにガラスの破片を浴びた人々だったのです。まだ放射能の影響は分かっていない頃だったから、とりあえず『ガラスは危ない』ということになり、次に原爆を落とされる危険性のある都市――これまでに大きな空襲を受けていない都市、すなわち京都、小倉、新潟、そして長野は危ないと、そういうことで、窓ガラスを外せという指示が出ていたんです」

自分たちの住むこののどかな長野の町が、75年前にそんな緊迫した状況にあったという事実に、観客は息を呑む。映画の中の広島と今ここに在る長野が繋がる。

そして監督は、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は『この世界の片隅に』の単なるディレクターズカット版ではなく、そもそもの捉え方が異なるのだと説明をなさる。『この世界の片隅に』は戦争というものを主人公として捉えた作品。『さらにいくつもの』はもっと広く、その中にいる人々のひとりひとりを「片隅」として捉えている。例えば、遊女のリンさんやテルちゃん、原爆症を患ってしまう知多さん、原爆の被害を受けた母子など、「すずさん」以外の人々についてもそれぞれの物語がある。そして、映画の中に描かれていない多くの「片隅」についても、皆さんが興味を持って、調べていただくことになれば嬉しい、と語られた。

メモを取っていないので、色々と取りこぼしがあるような気がするけれども、おおむねこんな感じのことを語っておられたのだと思う。膨大な「事実」の積み上げに裏打ちされた監督の言葉には説得力があって、深く感じ入った。

 

その後、支配人さんから「質問タイムを設けましょう。どなたか質問されたい方は挙手してください」との声があって、そりゃもう聞きたいことは山ほどあるんだけど(次回作のこととか次回作のこととか次回作のこととか)、あんま出しゃばっちゃいけないかなーとしばらく様子を見ていた。ところが、長野の方は慎み深い方が多いのか、誰も手を挙げない。「……誰もいらっしゃいませんか?」と支配人が促されたところで、エイヤッと手を挙げてみた。

マイクが回ってきて、起立する。うーわ緊張するぜぇ。

どどどどどないしょ。さすがに次回作のことはまだ監督にも話せないことが多かろうし、この場で聞くこっちゃないわな、と思って、違う質問をぶつけてみた。

私は、すずさんの「草津のおばあちゃん」の家からそう遠くない、五日市という海沿いの町で生まれたのだが、幼い頃に毎朝毎夕目にしていた瀬戸内海の風景が、まさしく映画の中にあるあの風景のまんま、なのだ。それが特に気になっていたので、「広島の海を描写する際の色使いについて、どういうところに配意していたか」という質問を投げかけさせていただいた(そしてちゃっかり『ブラック・ラグーン』も好きなんです、というメッセージも織り交ぜてみた)。

するとまぁ監督、やっぱ言うことがハンパない。

マイマイ新子』のロケハンの際に、山口県の周防の土の色が白っぽいことに気付き、『この世界の片隅に』を作るに当たって調べた呉や広島の土も同じく白いことに気付いた。これは花崗岩が風化した真砂土(まさつち)というもので、土砂災害を起こしやすい。映画の終盤で義姉の径子さんが台風の際に地滑りに巻き込まれているのだけれども、それもこの真砂土のせい。

そして、広島の海を描写するに当たっては、事前に原作者のこうの史代先生から「映画で色がつくのなら広島の海の色を再現してくれ」と頼まれていたこともあって、あのような青と緑が混ざって、土の色が少し混ざったようなやや褐色ぎみの色合いにしたのだ、と。あと、それぞれのシーンでは実際の日の天候も調べて、画面の色使いに反映させている、とも。んもぅパねぇっす監督。

それで私の質問タイムは終了――となるはずだったんだけど、ふと思い出して、せっかくだからともうひとつ付け加えてみた。

昔、私の先輩に呉出身の人がいて、その人が子供の頃に、呉の海岸でカブトガニを獲った、と言っていた。カブトガニは岡山の笠岡にしか生息していないと思っていたので、先輩を嘘つき呼ばわりしてしまったが、この映画の序盤、江波の海にカブトガニがいるのを見て、先輩の言葉が正しいことを知りました、と。

すると監督はニッコリなさって、「あれは実際に江波の海でカブトガニを獲ったという当時の記録があった。茹でて食べたけど美味しくなかった、と書いてあった」と答えてくださった。ふふふ、画面に一瞬映るものにすら全て裏付けがあって、それを瞬時に答える監督の凄まじさを改めて実感したぜ。

ともあれ、質問はひとつ、のところを2つもネタ振っちゃってスミマセンでした。そして監督、予想以上の丁寧な回答、ありがとうございます。緊張して途中あたり噛み噛みになっちゃってスミマセン。

 

その後でもうひとつ、若い方が挙手をされて、「戦争を知らない僕たちのような若い世代が戦争について学びたいと思うとき、どのような資料に当たるべきか」という質問をなさった。

それに対し、監督は、「実際の戦争経験者に話を聴くのもいいけれども、後の記憶が混同している可能性もある(それを含めて有益であるのだが)。僕がよく読んでいたのは当時の人が書いた『日記』。出版も多くされているから、なるべくたくさん読んでみるといい。女学生が『モンペなんてダサイ』とズボンを履いていたり、海軍工廠に勤める男性が『今日はこんな花が咲いた』と日々記録していたり、おしゃれのことや家事のことなど、意外にも当時の人々にも『普通の感覚』があることに驚く」などと答えられていた。

また、それを受けての総括では、「戦時下にも多くの制約があり、映画の中でも『明日から鉄道の利用が制限される』などといったシーンが出てくる。それはこの今のコロナ禍に通じるところがあるようにも思う。本当は今日も長野に行きたかった。残念だ」などと言われた。

支配人が「いつか『アリーテ姫』や『マイマイ新子』なども含めて、片渕監督特集をやりますので(場内拍手)、その際はぜひお越しください」と呼びかけ、監督も来長を約されて、満場の拍手と、そして画面ごしにバイバーイと手を振り合って、オンライン舞台挨拶は終了した。

いやー、オンラインなんて味気ないかなぁと思っていたのだが、予想以上に素敵な体験となった。監督はやっぱり長野向けの話題を用意されていたし。トンちゃんも見れたし。やっぱ来て良かったな。長野相生座、ありがとうございます。片渕監督特集の際にはぜひまた行かせていただきますのでッッッ( ´∀`)bグッ!