つれづれぶらぶら

マヘーンドラバーフバリブロテカーリー!!!(バーフバリ観てます)

『ドライブ・マイ・カー』

昨日(金曜日)、有休消化という名目でお休みが貰えたので、映画を観に新宿へ行ってきた。

あー!嬉しい!この「映画を観にふらっと新宿へ」っていうことが、この1年半以上できなかったもんなぁ!2回のワクチン接種が済んで、緊急事態宣言が解除されて、長野県が警戒する感染拡大地域からようやく東京都が外れて、やっとこさ、「そうだ、テアトル新宿に行ってこよっと!」と特急あずさにピョンと飛び乗ることができたのだ。あー!うーれーしーいー!

それはさておき、何を観たかというと『ドライブ・マイ・カー』である。夏に話題になっていたから、ご存知の方も多いと思う。第74回カンヌ国際映画祭で日本映画初となる脚本賞ほか3賞を受賞した濱口竜介監督の最新作。原作は村上春樹の『女のいない男たち』に収められた短編小説。

で、私もたまたま図書館で『女のいない男たち』を借りてきていたので、ほほー、この短い話をどうやって3時間弱もの長編映画に仕上げたのかね、と気にはなっていたし、主演は西島秀俊さんだし、機会があったら観よう、と思っていた。しかし、あの猛烈な感染症の第5波のせいで諏訪圏域に閉じ込められてしまって、なかなか観に行くチャンスがなかった。せめて岡谷スカラ座に来てくれたらなぁ、と思ったが来てくれない。くっ……、いつも遅いんだよ岡谷スカラ座ぁぁ……。

そうこうしているうちに、上映館がどんどん減っていく。ああんもう。映画は映画館で観たいんだよう。パソコンやスマホじゃ物足りないんだよう。

……というフラストレーションを抱えた状態からの、冒頭の1行に戻る。「テアトル新宿で10月8日から公開」という情報を目にした直後の、上司からの「そろそろ休みを取ったらどうだ?」というお声がけは、まさに確変チャンスアップのカットインきたコレ。

というわけで、1年半ぶりに、ぴょーいと特急あずさに飛び乗ってみたのだった。旦那は「ついでに買い物でも楽しんできたら?」と言ってくれたのだが、そこはさすがに、まだそこまで軽率にはなれない。新宿駅からまっすぐテアトル新宿、そして終了後はまっすぐ新宿駅。寄り道いっさいなし、純粋に「映画だけ」楽しんできた。

 

前置きが長くなりすぎた。あまりにも嬉しくて、つい。そろそろ映画の話をしよう。


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大筋は、こちらの90秒トレイラーをご覧いただいたほうが早いと思う。

妻を2年前に亡くした舞台俳優/演出家・家福(かふく)が、演劇祭の演出をするために愛車とともに広島を訪れ、不愛想な女性ドライバー・みさきと出会う。そして、妻の愛人であった若い俳優・高槻と話すうちに、家福は自分が見ないようにしていた自分の本心と向き合わざるを得なくなる――という、ざっくりまとめるとそういう話だ。孤独、後悔、罪、死、愛、そして救済。キーワードでまとめるとこんな感じ。

 

なんせ3時間弱もある長い物語だし、既に多くの人々が素晴らしいレビューをたくさん書いておられるので、あらすじなどはここでは省略する。以下、私の感想と考察をネタバレしまくりで書き連ねるので、ネタバレNGな方はここでブラウザバックplease。でも、ネタバレとか関係なくこの作品は観るべき。ちょっとやそっと結末が分かった程度で損なわれるクオリティではない。ちなみに原作小説はもう読んだから映画は観なくていいと思っている方には、強めに言っておく、観ろ

 

総評から言うと、Excellent……!!

映画のエンドロールが流れている間、私の頭の中にはその言葉しか浮かばなかった。エクセレント。何もかもが素晴らしく、とんでもなく上質だった。

まず何といっても脚本が素晴らしい。そらカンヌの脚本賞獲るわ。

原作は『ドライブ・マイ・カー』という短編で、それに同じく『女のいない男たち』に収められた『シェエラザード』と『木野』を足してある、という説明ではあるが、実際には、ほとんどの部分がオリジナルである。

短編『ドライブ・マイ・カー』の、妻を亡くした舞台俳優・家福とその愛車サーブ900、そしてやむを得ず雇うことになった23歳の女性ドライバー・みさき、そして妻と過去に寝た男・高槻との交流――という基本構造が、この映画のベースとなっている。

しかし、原作ではむしろ家福のほうから積極的に高槻との交流を仕掛けていて、嫉妬に似た感情を持て余している(悪趣味な)男として描かれているし、高槻は軽率ではあるが屈託のない(凡庸な)人物として描かれ、みさきに至っては親から虐待を受けていたらしいことが少し語られるきりでほとんど情報がなく、もっぱら家福の聞き役に徹している。そして、この短編は東京を走る車の中での家福の思い出話といったていで、とりたてて結論を持たずに終わる。妻が他の男と寝ていた意味を問う家福に対して、女性にはそういうところがある、意味なんかない、とみさきが答えて、それで終わる。

それに対して、短編『木野』では、妻が他の男と寝ている現場を目撃してしまった男・木野が、家も仕事も全て捨てて、小さなバーを開く。やがて猫が住みつき、カミタという寡黙な常連客もついた。時に不穏な客との面倒事もあったものの、そこは小さくても居心地の良い場所だった。しかし、妻との離婚が正式に決まった後、猫はいなくなり、代わりに蛇が現れるようになった。カミタは「木野が正しいことをしなかったために多くのものが欠けた」ことを示唆し、禍が解消されるまで長い旅に出るようにと言う。木野はその言葉に従い流浪の旅に出るが、その旅の中で自分自身が「傷つくべきときに正しく傷ついてこなかった」ことに気付き、自分の心の奥に隠された深い傷に苦しみ、涙を流す。そういう物語である。

そう、この映画の家福は、木野なのだ。舞台装置は『ドライブ・マイ・カー』だが、この映画の主題はむしろ『木野』のほうにある。西島秀俊が演じる家福は、妻の不貞を見て見ぬふりをし、高槻にも自分からは関わろうとしない。演出家としての仕事に没頭し、カセットテープに残された生前の妻の声をただ聴き続けている。

しかし、原作の『ドライブ・マイ・カー』にも『木野』にも欠けていて、映画にのみ用意されたテーマがある。それこそが「救済」だ。木野は自分が深く傷ついていることに気づくが、その後どうなったのかは描かれていない。原作の家福は、傷つくというよりは怒っていて、そもそも救済を求めているようには見えない。

そこが、この映画のラストシーンに繋がる。そしてこの映画においては、みさき自身も深く傷ついており、それゆえに人を死に追いやった罪の意識を抱いているという設定が加えられている。この映画の終盤、北海道の雪原の中で、家福とみさきはようやく自分自身の心の傷に向き合い、「ソーニャ」の台詞に救済されていく。なんという美しい終わり方なのだろう。

さらに言えば、映画では原作とは細かい部分を含めるとかなり設定が違っている。家福が俳優だけでなく演出家であったり、妻は原作では女優だが映画では脚本家となっていたりする。また、ドライバーを雇わねばならなくなった事情も違う。高槻の性格も違う。舞台も東京だけでなく広島や北海道まで広がるし、その他の登場人物に関しては完全に映画オリジナルである。

であるにもかかわらず、全体を通して観たときに、「あれ、これって村上春樹の長編小説が原作だったっけ」と勘違いしてしまいそうなほどに、村上春樹ワールドを構築している。まったく、どこまでが原作だったかが分からなくなってしまったために、今日また改めて図書館で『女のいない男たち』を借りてきてしまったよ。読み直したよ。うん、かなり違う。ってかほとんど違う。でも村上春樹そのものなんだよなぁ……。

 

これほどまでに素晴らしい脚本に対して、俳優がまたExcellentなんだ、これが!

家福を演じる西島秀俊さん、みさきを演じる三浦透子さん、高槻を演じる岡田将生さん、亡くなった妻・音(おと)を演じる霧島れいかさん、どの役者さんも完全にその役に入りきっていて、ごくわずかな目線の動きですら、その人物の考えていることや感情を的確に伝えてきた。いやもう、ちょっと私の乏しい語彙ではこの凄さを伝えきれない。息を飲むようなシーンがいくつもあった。岡田将生さんの車中のシーンなんか、カメラがほとんど動かないバストアップの長回しで、動きもほとんどなく、微笑みに似た表情でただ淡々と語っているだけなのに、もう、ものすごい感情が溢れてきた。凄まじかった。

ちなみにあのシーン、その直前の新天地公園で高槻が何をしたかを知った後で思い起こすと、また別の壮絶な感情がわき上がってくるよね。あそこで語られている「空き巣の少女の物語の続き」が、音にとってのストーリーかと思って聞いていると、実は高槻自身のストーリーもダブルミーニングされていたのではないか?という。それをあの表情で語るのかっていう。鬼気迫る。その後のシーンもまた、イイんだ……、例のタバコのシーン……。実にイイんだ……。『ブラック・ラグーン』のシガーキスを思い出しちゃったよ……。男女の関係はないけれど、それ以上に心が通じ合う瞬間っていうかね……。

三浦透子さんのみさきは、原作から抜け出してきたのかというぐらいに完璧な「みさき」だった。不愛想で、ぶっきらぼうで、必要最低限のことしか言わない。でも運転にはプライドを持っていて、物事の真偽を見抜く力を持っている。常に伏し目がちで、若い娘らしい素振りもなく、原作で言うところの「ちょっとぶすい」感じが良く出ている。そんな彼女が、家福に運転を褒められて、照れ隠しのためにいきなり犬とじゃれ合うところなんか、もう!デレた!可愛い!みさきが犬と絡むシーンは本編中に2度あって、それがエピローグに繋がってくるわけなんだけど、ここでは明るい目をして、ちょっと可愛い服装に身を包んでいる。可愛い。めっちゃ可愛い。

霧島れいかさんは、序盤の濡れ場なんかもいいんだけど、何といっても本編中ずーっと流れ続ける声が印象的。車の中で台詞の練習をする家福のために、台本の相手役の台詞をカセットテープに入れていたという設定で、この映画ではサーブ900の走行に合わせて、音が読み上げるチェーホフの『ワーニャ伯父さん』の台詞が延々と流れていく。この『ワーニャ伯父さん』の台詞そのものがまた本編のストーリーに大きく関わっていて、そのシーンの登場人物の心情を反映していたり、あるいは後のシーンの伏線になったりもする。そんなわけで観客は、霧島さんの抑揚のない――時として呪術的な――声に導かれながら、彼らの旅を見守ることとなるのである。

また、印象的だった俳優といえば、やはりユナを演じたパク・ユリムさんに言及しておかねばなるまい。唖者の元ダンサーという設定で、『ワーニャ伯父さん』のソーニャ役に韓国手話を使って挑む役どころだ。唖者ということで、いっさい声の芝居はできないという難しい役どころ。最初、パク・ユリムさん自身が唖者なのか?と思ったが、ご本人は健常者で、この役が決まってから韓国手話を猛特訓して臨まれたとのこと。そんなご努力が伝わらないほどに、ユナの佇まいは自然で、そしてユナがそこに立っているだけで、スーッと視線が彼女に吸い寄せられてしまうほどに存在感があった。オーディションのシーンからして、凄かった。目の力が言葉の壁を越えてきた。ユナはこの映画において最も重要な「救済」の役どころを受け持つことになる。その難しい役を、堂々と演じ切り、とても暖かく清々しい余韻を観客に与えてくれた。

あと、ユナの夫で通訳のユンスを演じるジン・デヨンさんもいいんだよね。いかにも人の好さそうな朴訥な笑顔、あの黒々とした眉毛の安心感。映画祭の主催者側スタッフとして柚原の指示に忠実に従いながらも、家福の心情にもなるべく寄り添おうと努力する誠実な人柄が、この緊張感に満ちた映画の中の良いクッションになっていたと思う。

 

脚本もいい、演技もいい、そしてロケーションもいい。

何しろ、メインの舞台は「広島」だ。広島人としちゃ嬉しいじゃないの。序盤の東京パートが終わって、タイトルが流れ、そして真っ赤なサーブが山陽自動車道を西へ駆けていく。あれに見えるは、ああ、緑井のフジグランと天満屋とコジマじゃないか、懐かしい広島ICの風景だ。うーっ。広島に帰りてぇー。

監督インタビューによると、車の走行を撮影する許可の関係で、本来は韓国の釜山で撮影する予定だったのがコロナ禍でダメになり、代替地を探していたところ広島市フィルムコミッションが尽力してくれたと、こういう次第だったようだ。グッジョブ広島市フィルムコミッション。おかげで、美しい瀬戸内の島々の風景や、丹下健三の代表作である国際会議場などの私の好きな建造物がいっぱい見られた。あのゴミ処理場はいっぺん行ってみたかったんだけど行けてなくてさ、こうやって見られて嬉しいったら。

瀬戸内海の、青に少し黄土色がかったような、優しい色合いの空気が好きだ。大崎下島(往復距離が長いのがいいっていうことで宿泊先に選ばれたという設定だが、いくらなんでも遠すぎないか?ほぼ竹原だぞ?)のレトロで静かな景色は、この映画の雰囲気に実に良く合っていたと思う。グッジョブ。

それに対して、寒々とした北海道の雪原、またそこに至る道程の暗々とした風景(青函連絡船から見る黒い夜の海)の雰囲気は、家福とみさきが自分自身の心の奥へと向かっていく長く暗いトンネルのようで、このクライマックスのシーンによく合っていた。

 

そして、音楽、それを含めた音響全般も良かった。BGMをひっきりなしに流すのではなくて、いっさいの音がないシーンもあったり、あるいは妻の声だけが流れていたり、街の喧噪や、サーブ900の走行音など、あらゆる音が精緻に配置され、無駄がなく、情緒に流され過ぎず、抑制されていた。原作小説ではもっと賑やかに音楽が鳴っていたんだけど、この映画はとにかく静かだった。だからこそ、聞こえてくる音に観客は神経を研ぎ澄まさざるを得ず、それゆえに、家福のマンションのドアの向こうから聞こえてくる「声」に、強いショックを受けたのだった。

そして、メインテーマがまた素晴らしく良い。この動画を聴いてほしい。


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この、みさきの横顔は、映画を観た後ではたまらなく美しく見える(いや、三浦透子さんが元々美人だからなんだけど、そういう意味ではなくてね)。みさきの運転に身を委ねていることが、だんだん心地よくなってくるのだ。しかもこの動画の終わり方の可愛さったら!ああ、みさき可愛いよみさき。

 

語ればきりがなく、3時間以上でも話せる気がするんだけど、きりがないのでこのへんで。ああ、『シェエラザード』について言及するの忘れてた、あれ原作だと、片思いの「彼」のシャツを盗む程度で終わっちゃうんだよ、彼のベッドであれしたり、ましてや高槻が語るその後の物語とかは完全に映画オリジナルだからね、って、これも今日原作を読み返して思い出した。てっきり原作にそんな話があったような気になってたよ。本当にもう、脚本がすごい……演出がすごい……役者もすごい……ロケーション最高……題字もお洒落だ……ああ、真っ赤なサーブ900は広島によく似あうんだ……。

 

でもって、やっぱ西島秀俊さん最高

この陰鬱な家福の演技の記憶を脳裏に焼き付けたまま、来月はフライパンがよく似合う可愛い笑顔のシロさんを観に行くんだ……。めっちゃ楽しみなんだ……。


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