つれづれぶらぶら

毎朝、鼻がつまって目が覚める。嗚呼この季節。

2018年とDEVILMAN crybaby

何かと「平成最後の」という枕詞で語られることが多かった2018年。

いや、まだ2019年の4月までは「平成」だし、そもそも元号が変わるだけで日本以外の国には何の影響もないっていう話なんですけどね。

 

さて、2018年をぼーっと振り返ろうかなと思ったけど、自分自身については特にコレといって何もないのよね。

カープ三連覇して嬉しかったなぁ、でも日本一にはなれなくて悔しかったなぁ、ぐらいですか。

ただね、2018年を振り返った時に、今年の始まりに観たアニメが「DEVILMAN crybaby」であったということは、ちょっと象徴的なことだったような気がする。

  

sister-akiho.hatenablog.com

 

永井豪の名作漫画「デビルマン」を、新進気鋭のアニメ監督の湯浅監督がリメイクして現代に置き換えた新作アニメにしたのが「DEVILMAN crybaby」。

年始にそれを観た時点では、「“あのデビルマン”をどう変えたのか」ということが一番の関心ごとであって、原作との違いばかりが気になっていたのだけれど。

それから1年の間に、世界を取り巻く事象を眺めていると、この新作アニメーションがまるで預言者のように思える場面が多々あったのですよ。

 

前回のブログでも、「DEVILMAN crybaby」のテーマは差別・迫害・偏見だと言いました。

でもまぁ、そりゃわざわざ私が言うまでもなく、このアニメの舞台が神奈川県川崎市に設定されている時点であからさまだったわけですよ。

永井豪の原作には特定の舞台設定は指示されていない。

川崎市が人種差別的なヘイトスピーチが多く行われている街であることを考えれば、湯浅監督がわざわざ此処を選んだ理由は明らかなのよね。

 

で、今年起きた出来事で印象に残っていることといえば、まず5ちゃんねる(2ちゃんねる)の有志により始められた「ネトウヨ春のBAN祭り」。

これは、YouTube上に大量に存在するネット右翼によるヘイト動画を、ようつべ運営に通報していくことで、アカウント自体の停止(垢BAN)を狙う試み。

これは最初はただの“ネトウヨを攻撃して遊ぼうぜ”という悪ふざけの活動だったのが、次第にTwitter民や一般人を巻き込み、大量のヘイト動画の削除に繋がったと聞いております。

 

また、某国会議員による「LGBTは生産性を持たない」という差別的発言と、それに対する大きな抗議活動。

これはさらにその国会議員を擁護する右翼系著名人をも巻き込み、最終的には大手出版社の老舗言論雑誌を実質上の廃刊に追い込む結果に。

 

また、「男とは・女とは」というジェンダー論も活発化。

とりわけ某医大で発覚した、入試において女子・多年浪人を不当に低く採点していた事実の発覚は、未だに大きな問題として各方面で議論されています。

 

また、私が個人的に引っかかったのは、某絵本作家が作詞を手掛けた「あたしおかあさんだから」という歌に潜む、古い価値観に基づく「旧き良き母親像」の問題。

この議論の中で目にした“サザエさんに出てくる「フネさん」は絶対に風邪をひかない”というある脚本家の発言は衝撃的だったなぁ。

そうだよなぁ。誰もフネさんの趣味や悩みを知らない。ただひたすら毎日ご飯を作り続ける「おかあさん」という姿しか描かれていないから。52歳のひとりの女性であるにもかかわらず。

 

かように、民族間対立や性差別を巡るニュースを目にしない日はないぐらいに、2018年はこれらの問題が一気に浮き彫りになった1年であったように思います。

 

で、だ。

 

年始に「DEVILMAN crybaby」を最初に観たときに、どうにも違和感のあるシーンがあったのね。

それは9話の前半パート。悪魔の存在に恐怖し暴徒化する人々に向けて、アキラはデビルマンの姿で、ミキはSNSの言葉で、ともに“愛”を訴える。

しかし人々の心には届かず、アキラは石を投げつけられ傷つき、ミキは心無い言葉の暴力を浴びせかけられる。

ところが、その中から、ごく少数ながら応援者が現れ、かたくなな人々の心をほぐし、一時的ではあるものの人々との和解の姿が描かれる。

このシーンが、なんか唐突でねぇ。「なんでさっきまで石を投げてたのに、いきなりハグ大会になってんの?」と半笑いで見ていたもんです。

ただ、1年経ってみると、このシーンこそが湯浅監督の主張したいことだったんだね。

 

世界は、偏見や差別に満ちている(私の中にもある)。

 

悪意や不正は常に存在する(私の中にもある)。

 

ただ、それらに対する“アンチ”(反抗勢力)も、必ず存在する。

声が小さくて普段は聞こえないだけ。何かのきっかけがあれば、アンチの声は一気に増幅する。

アンチの存在が良いのか悪いのか、そりゃ分からない。立ち位置が違えば見方は変わる。

でも、アンチの存在は絶対に“必要”だと思う。物事が偏ってしまわないために。自分の意見だけが世界だと過信してしまわないように。

スルーが常にスマートな対応であるとは限らない。放置した結果、大きなヘドロ沼を作ってしまうこともあり得る。淀んだ池の水を抜く作業は容易ではない。

 

2018年という年は、色々な価値観について、その裏側にあるものを暴露し、問題点を掘り起こす、そういった1年だったのではないかと思います。

今年はただ“気づき”の年。これらの問題はまだまだ何一つ解決していないし、解決どころか、さらに深い問題へと突入していきそうな気配さえあります。

 

デビルマンの物語では、最終的に、人間は地獄に落ちるべき存在=悪そのものであると判断され、最悪の結果となってしまう。

凶器を持ち、牧村邸の入り口に立つ、その前に。

ミーコがギリギリのタイミングで、ミキへの愛に気づけたように。

湯浅デビルマンが指し示してくれたこれらの事柄を、私は2019年も、注意深く観察していこうと思います。

 

 

新しい年が、皆さまにとって良い年でありますように。

これからもなにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

小泉秋歩拝