つれづれぶらぶら

例のアレの実写版ってどんななん?不安しかないんだが。

『戦争は女の顔をしていない』2巻

今日、本屋に立ち寄ったら、コミカライズ版『戦争は女の顔をしていない』2巻が発売されていた。 もちろん、すぐにレジに走った。

この漫画との出会いは今年の1月末。映画『この世界のさらにいくつもの片隅に』を観て、「戦時下の女性たち」についてあれこれ考えていたところへ、それはすさまじい衝撃を伴って、私の前にもたらされたのだった。その1巻と原作を読んだ後で、私は興奮と混乱のただなかにあって、とにかくこの作品について何かを書かねばならぬという衝動に突き動かされて、こんな記事を書いた。

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企画段階ではまったく期待されていなかった、というこの漫画の1巻は、しかし、発売1か月で累計10万部(紙+電子)を突破するという大ヒット作となった。そして、この度、待望の第2巻が発売されたのである。

もちろん私も、首を長くして続巻を待っていたうちの一人である。いや、前回の記事にも記したとおり、この漫画については、全話が公式Twitterで公開されていて、誰でもいつでも無料で読めるのだ、けれども。

twitter.com

商業的に見れば、こんなふうに全話無料公開などすべきではないと思う。さもなければ、コミックスには描き下ろしの特別編とかのプラスアルファ的なモノを付与するとかして、何らかの差別化を図るべきであろう。しかしながら、このコミックスには、監修の速水螺旋人氏の描き下ろし解説がついていること以外、とりたててオマケ的な要素はない。

だったら、Twitterで読めばいいじゃん、と考えたアナタは、是非ともそうしてほしい。戦争に関するコミックスをわざわざ購入することに、ハードルの高さを感じる方もいらっしゃると思う。無料公開されている漫画なら読んでみようかな、と思ったなら、まずは読んでほしい。とにかく読んでほしい。

漫画を読むこと自体がおっくうだ、と感じるのならば、朗読動画だってあるのだ。


『戦争は女の顔をしていない』朗読PV (高山みなみ、田中敦子、水田わさび ほか出演)

この朗読PVは1巻に収録された第7話。3つのエピソードが収められている。

こんなふうに、とにかく多くの人にこの作品を知らしめたい、とするカドカワの戦略は、とりもなおさず、原作であるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの渾身のルポルタージュへの絶対の信頼、そしてそれをこの日本でコミカライズするという果敢なる挑戦への自負が窺い知れる。いや、本当に、とにかく読んでほしい。ここで私が何千文字を費やそうとも、実際に読んでもらえなければ伝わらないのだから。

 

2巻にも、衝撃的なエピソードが続いている。とりわけ、戦車大隊衛生指導員であったニーナ・ヤーコヴレヴナ・ヴィシネフスカヤ曹長の体験を描いた11話(前・中・後編の3編から成る)は、その戦争中の壮絶なエピソードの数々もさることながら、その衝撃的なラストに、おもわず声も出ないほど困惑した。

もちろん私は原作も読んでいるので、この、平和な時代に生きる我々から見ればまるで裏切られたようなラストのことも事前に知っている。だがしかし、やはり「絵」の持つちからは大きい。我々はさっきまで、アレクシエーヴィチと共に、あの台所のテーブルで、ニーナの心の奥底にある気持ちに深く触れていた。その理想、恐怖、後悔、屈辱、そして時には笑い、友情を育み、愛について考える繊細な少女の心のひだに。

どうして私は生き残ってしまったんだろう

誰のご加護なのか?

何のためなのか?

こういうことを語り伝えるためかしら…

(152~153頁)

分かり合えた、と思った直後に、まるで厚い扉がいきなり閉まるかのように、アレクシエーヴィチと我々は拒絶されてしまう。ニーナという一人の人間が、二つの真実を抱えて生きている。それは彼女個人の問題ではなく、第二次世界大戦という舞台に限定した話でもなく、我々自身にも大なり小なり存在するアンビヴァレンツな部分である。「女の顔をしていないもの」が「女の顔をしているもの」を抑圧しているとでも表現すればよいのだろうか。

なお、ここでいう「女・男」というのは、性別としての男女を指すわけではなく、もっと社会的な概念である。これまで、ほとんどの軍記もの作品、戦争の記録は、ほとんどが「女の顔をしていない」マクロ的な視点から描かれてきた。軍勢、武勇、武士道、戦艦、戦闘機、敵は幾万ありとても、残らず鬼を攻めふせて分捕物をエンヤラヤ。

最近になって、若い世代を中心として、現代にも繋がる戦争中の暮らし・気持ちに目を向けようというミクロ的な視点(NHKの「あちこちのすずさん」など)が活発になってきたけれど、それは言うなれば、戦争を知る世代が少なくなってきたことの裏返しかもしれない。戦争を知らない我々だからこそ、ある種の無邪気さをもって、その時代を眺めることができる。それは善悪の問題ではない。繰り返すが男女の問題でもなく、国家や民族や思想の問題でもない。

それは我々にも容易に起こり得る問題であって、だからこそ、この作品を「過去の戦争のおはなし」と短絡的に受け止めるのは危険だと感じている。

 

「せんそうは、してはいけないと、おもいました。」

 

もちろんそうなのである。それは絶対にそうなのである。

だがしかし、そこで思考をストップしてはいけない。小学校に出す冬休みの読書感想文じゃねぇんだよ。私は頭を搔きむしる。この漫画を読むと、私はいつもやりきれなさで心が張り裂けそうになる。どう伝えていいか分からない。どう考えたらいいのか。

このコミックスの帯に、私のその迷いへの答えが書いてある。速水螺旋人氏のブログから抜粋された言葉である。

この本は理解するためのものではありません。

理解していないことを知るための本です。

そう簡単にわかってたまるものではないのです。